定年…か。

nikkeibo.jp「団塊消費動向研究所」のコラム「第二の人生で働くということ」から。要は、定年になっての生き甲斐が仕事ではなぜいけないのか、ということらしい。なるほど、これは今まで漠然と思っていた疑問をある程度はっきりさせてくれた。社会情勢と相まって、こういうことはいよいよ真剣に考えるときが来たのではないかな?

そもそも定年とは何だろうか?
会社勤めの人間には、定年が来ると会社を辞めて、いくばしかの退職金をいただくという程度の認識しかないだろうが、そもそもどこで定年が定義されているのか?

ちょっと調べてみたら、労働基準法には定年について定めたものがない。ではと思い、ある企業の就業規則を見てみると、

 (定年等)
 第39条 
 従業員の定年は、満65歳とし、定年に達した日の属する月の末日をもって退職とする。

という感じに書いてある。とすると、おのおのの企業で独自に定めているようだ。多くの場合には、年齢のところが変化するのだろう。ここでは、どこにて定められているかということなので、細かな内容については触れないことにする。

本当にこれだけかと思って調べてみると、あった。平成10年4月1日改正の「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律」では、次のように定めている。

事業主が、その雇用する労働者の定年の定めをする場合には、当該定年は、60歳を下回ることができない。ただし、当該事業主が雇用する労働者のうち、高年齢者が従事することが困難であると認められる業務として労働省令で定める業務に従事している労働者については、この限りではない。

つまり、定年の年齢を60歳未満にできないことを法律で規定しているわけだ。しかしこれも定年そのものの存在について、何かを定めているわけではない。

そもそも定年とは、組織における新陳代謝のためにある、というのが一般的な見方だろう。戦力の落ちた老兵には去ってもらい、新たな戦力を導入する。組織内では、常に一定の年齢構成で体制を保持できる、というメリットがあるだろう。しかしながら、この単純な考え方が通用しなくなってきているのは事実だ。

従来より人材の入りと出に柔軟性が出てきており、中途採用者、中途退職者の割合が増加しているらしい。このため、新卒者と定年者のみに組織の新陳代謝を頼る必要がなくなってきている。また、人材についての考え方も変わってきており、定年以降も能力の発揮できる人材は変わらず保持しておきたい、というのがあるのではないだろうか(これについては定年後の再雇用という形態は前からあったようである)。

また、社会情勢を見てみれば、高年齢層の増加と若年層の減少といういびつな人口構成から、社会保障自体の存続が危ぶまれている。現在のように、世代間で養うという構図では、自ずと限界が見えてくる。年金の支給開始年齢も、徐々に引き上げられている。定年退職後は、それまでに蓄えた資産と年金で余生を送るという設計も、システム的に機能しなくなるのではないか。

また、人生という見方で考えた場合、定年前はひたすら仕事で、定年によって引退したら今度は趣味を中心に、というのも考え直す時期が来ているのではないか。そもそも、現役中に趣味に精を出してはいけないという決まりはないし、引退後に仕事をしてはいけないという決まりもない。要はバランスの問題で、年齢や意欲に応じて仕事と趣味等のバランスを考えればいいのではないか。

コラムにある、引退後=趣味の満喫、という構図を世の中が期待しているというのはどうかという考えには、同感である。何だかそういう構図には、現役時代に蓄えた資産を引退後に消費という形で放出する、経済効果を期待しているような感じが否めない。それよりも、一生働き続けるということを前提に、そのための体制作りということを提言して欲しいような気がする。

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