真の加害者とは?

もはや定番ネタになりつつもあるが、日経BP社SAFETY JAPANの浦嶋繁樹氏のコラム「酔っ払い運転事故の真の加害者は誰か?」を読んで、若干の違和感を感じたので書いてみたい。なお、例によって日経BP社は勝手にリンクを張ることを認めていないので、上記コラム名で適当にググってみて下さい。

このコラムの趣旨は、表題からわかるかもしれないが若干補足しておくと、先月福岡で起きた飲酒運転、追突、落下、幼児3名死亡、という痛ましい事故の真の加害者は誰か、ということを書いている。もちろん、酒を飲みまくったあげくに車を運転し、追突事故を起こした加害者にはまったく弁護の余地もなく、この記事の趣旨もそこを曲げるものではないことをお断りしておく。問題は、真の加害者が橋の欄干を作った側にあるとしている点である。確かに、欄干の強度が十分ならば被害車両は落下しなかったし、それによって子供の命が失われることもなかった。至極もっともな意見で、誰もその方向性には異論を挟まないだろう。

私が違和感を覚えるのは、その後の展開である。氏は、その後の展開で、腐食して今にも壊れそうなブランコのたとえを挙げているが、このへんで少しずれているのではないだろうか?事故の舞台となった橋は、強度に問題が出るほどに腐食などしていなかっただろうし、そのような類の問題があったという報道は、今のところないのである。これはつまり、設計者の意図した状態で共用されていたと言うことで、これと「今にも壊れそうな」ブランコを同列に挙げて展開するのは、少々無理があるのではないかと思うのだ。腐食して「今にも」壊れそうなブランコを放置しておいたら、それは管理者の怠慢であるし、事故を起こしてしまったら管理者の責任が追及されるだろう。ブランコの構造上の問題を挙げなければ、欄干の問題と同列には語れないのではないか?

その後、今度は10年ほど前に東名自動車道で起きた追突事故(これも痛ましいものであったが)を例に挙げ、追突したトラックは悪いが、クルマを作った側も悪いと言っているのだ。「車両の燃える事故は珍しい」と書いているが、それはたまたま燃えなかっただけで、金属タンクにガソリンを入れて、周りを電線やらなんやでグルグル巻にした上で火を付けて走っているのがクルマなのだから、燃えて当然なのである。それこそ、ぶつかった場所、程度、タイミング、その他の要因で燃える、燃えないのは決まるのだろう。これを欠陥車と言い切ってしまうあたりに乱暴さを感じるし、しかも樋本がどちらなのか本人もわからないと書いているのだから、どうかと思う。

GMの例は、欠陥車を放置しておいた例だし、次元の違うものだ。リコールの必要な欠陥を隠し、その結果事故を招いてしまえば、責任は逃れられまい。このエピソードの内容はもっともと思うが、例としてはいささか不適切と感じる。

おそらく氏は、「予測できない構造上の問題」「想定した条件下での妥当な設計」「条件設定そのものの妥当性」というものと、「放置されている構造上の問題」「発覚しても隠蔽されている問題」を同列に見ているのではないだろうか?欄干の例で言えば、車が車道から歩道に乗り上げ、さらに歩道を突っ切って欄干に激突しても車を十分に抑えられるほどの強度があれば、まったく問題なかったということになる。だがそれは、そういう状況を設定すべきかという話を別にしなければならず、直接的に構造上の問題となるかは、疑問なのである。現実的には、想定するt数、速度、乗員、角度などを検討して強度を決めるのだろうが、反対側の車道では車の衝突を想定した欄干となっていたと聞く。だがそれも、20tトラックが100km/hで正面からぶつかったときのことは想定していないだろうし、そのへんのさじ加減を一律的に決めるのは無理があると思うのだ。

もちろん、橋の欄干の強度に関する議論は、随所ではじめられなければならないと思うが、私はあれはディフェンダーであってガーディアンではなく、突破されたからといって一方的に加害者扱いされる謂われはない、と考える側である。あくまでも悪いのは、酒を飲んでスピード超過運転をし、いわんや証拠隠滅に走った輩である。私はときには、お前も悪いがこいつも悪い的な和風の成敗方法が、マイナスに働く状況もあるのではないかと思うのである。

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