履修科目不足が語るもの

今、全国の公私立高校で、履修科目が足りないか、実際に履修していないにもかかわらず卒業させてしまったとか、あるいは足りないから卒業できないのでは?とか、講習しなければとか、そんなことが起きているらしい。こんなことが今になって明るみに出てくるのもおかしな感じがするが、マスコミをはじめとする周囲の論調が、受験優先の歪んだ教育、といったところに集中しているような気がする。果たしてそうだろうか?一校や二校ならいざ知らず、これだけの数(282校以上)の学校で行われているところを見ると、何か構造的な問題があるのではないか、と思わざるを得ない。

正論をいえば、受験優先ではなく、高等教育にふさわしいムラのない履修を、ということになると思うが、それを実践できない状況というのを重視したい。できることなら、学校側も規定の授業をきちんと行った上で、受験のためのシフトを行うといったことをしたいのだろうと思う。だが、それを実践するには、十分な授業時間数が確保されていなければならない。ところが、「ゆとり教育」の導入やら、科目数の増加で、必要な授業時間数は増えているにもかかわらず、実際の授業時間数は減っているということにはなっていないだろうか?進学校であれば、受験を意識したシフトを行うのは普通だが、それを行うにもどこにもバッファがない状況では、どこか弱い部分の優先度を下げて、そこにシフトを割り当てるということにもなるのではないだろうか?

苦しい「合体授業」、いかがわしい「すり替え授業」というのに対する学校側の言い訳は少々苦しいような気がするが、苦しいやりくりを強いられたあげくの「居直り」にもとれる。居直るとはけしからん、という見かたもできるが、ならばふさわしい方策があるなら別に示してみよ、という声も出てきそうな気がする。

昔話で恐縮だが、私の現役時代(25年ほど前)は、土曜は4校時、平日も毎日6校時まであり、下手すれば7校時まであったのである。つまり、授業時間が相当に多かったのである。これはこれで大変だった記憶もあるが、この反動が出て一気に授業時間数の削減に向かい、これが歪みとなって現れているのではないか?関連すれば、週休二日制が公教育の現場にも導入されて、土曜にはまったく授業ができなくなったことが大きいと思う。

実は私は、公共性の高い業種の週休二日制には反対である。お役所、金融機関など。休みの日にしか行けない人が多いのに、休みには一緒に休まれている現状はどうか?せめて交代制ででも、半ドンでも、土曜に営業することはできないのか、と思う。

受験制度の変化もあるだろう。今の「センター試験」は、少なくとも私の時代の(昔話ばかりで恐縮だが)「共通一次試験」とはかなり異質なものだ。「共通一次試験」が主に国公立大学のための入学試験であったのに対し、「センター試験」は国公立大学はもとより私立大学にも開放されている。「共通一次試験」は国数英社理からまんべんなく受験することが求められていたが、「センター試験」は受験する大学が指定した科目を受験するようになっているようだ。つまり、必然的に科目は絞られて、そこに履修を集中させるといったところが出てきても自然だろう。

それにしても、今の学習指導要領では、地理歴史でも世界史は必須で、日本史と地理は選択になっているという。しかもそれぞれ(A)(B)があるそうだ。(A)と(B)の違いは私にはわからないが、それよりも日本史と地理が選択式、というのもどうかと思った。私の感覚では(昔話…)世界史も日本史も地理も必修、という感じなのだが。これは、世界史と日本史はやったが、地理はやっていないという生徒や、世界史はやったけど日本史は知らない、という生徒が出てくると言うことになるのか?違っていたら教えて欲しいが、それで高等学校の教育ということになるんだろうか?

実は私の子供もこの世代なので、今の高等学校の授業の仕組みがどうなっているか、通っている高校ではどうか、聞いてみようと思う。いいコミュニケーションのチャンスだ。笑

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