【つぶやき】すぐ謝る人は…?

最近、すぐに謝る人が気になるようになってきました。もちろん、自分の非を認めて、詫びるなり謝るのは悪いことではありません。むしろ潔い態度であります。ただ、先日見かけたあるところの記事で、「最近の新人はすぐに謝る」「けれど何度でも同じことをする」というのを見かけて、ううむと唸らされました。

夢の轍 プライス・ダウン・リイシュー盤

そういえば、私は謝られるとけっこうイラッと来ます。なぜイラッと来るのだろうとずっと思っていましたが、どうやら「意味なく」謝ることが気に障るらしいのです。たとえば、

「この書類、○○が抜けているね?」
「すいません。気を付けます。」

というやり取りです。仕事場では、わりと普通ではないですか。では、これが毎日だったらどうしますか?お前、いい加減にしろ、となりませんか?毎日同じようなことをするということは、実は「気を付けていない」のです。

ちょっと別の話ですが、毎朝、私に謝る人がいます。どうやら、約束した時間に間に合わない、ということを繰り返しているかららしいです。でも、そのことを謝られたってしようがありません。その約束は、その人が言い出したことであり、私には関係ありません。そもそもなぜ謝られるのか、理解できません。

両者、似ているようで違います。前者は、「謝ってとりあえずその場を切り抜ける」、後者は「謝ることで自分の非を帳消しにしてもらう」という意図が透けて見えます。だから、謝っても本質的な解決にはなっていないし、そんな意図が透けて見えるから、謝れる方も愉快ではありません。

もちろん、自分のしでかした非を詫びるのは最低限のことです。しかし、そこで終わりにしてしまってはいけないでしょう。そもそも、なぜ詫びるような事態になっているのかを自分なりに分析し、解決策を見いださなければなりません。

最近、自分自身のことで、謝ってもしようがないという事態に遭遇しました。失敗は失敗だけれども、誰に謝ったってしようのない、という事態です。これは結構きついです。たとえば、謝ってそれを聞き入れてもらうことで、一定の区切りを付けるということができません。二度と同じ失敗をしないかというのは、自分自身が示さねばなりません。誰かが見ていてくれるわけでもありません。

ある意味、謝っている自分を見てくれる人がいる、それを聞いてくれる人がいる、というのは幸せなのかな、と思いました。ですがそういう幸せな状況に甘んじていると、そういう人さえもいなくなってしまうのでしょうね。

私の場合は立場上しかたないのですが、そうでなくそういう立場になってしまうのだけは避けなければなりませんね。

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