【日記】卒業式に心洗われる

末っ子の卒業式(小学校)に行ってきました。長女の小学校時代から、あしかけ16年間、小学校と関わりを持ってきましたが、これで終わりかと思うと感慨深いものがあります。もう運動会にも参加することがないかと思うと、ちょっと寂しいですね。

こういう行事には仕事の都合が付く限り参加することにしています。仕事で日常どっぷりだと感じる機会もない雰囲気を感じることができるからですね。

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卒業式の基本的なメニューといえば、国歌斉唱、卒業証書授与、校長先生や来賓の方々のスピーチ、門出の言葉、贈る言葉、などでしょうか。

国歌斉唱、などというと、それで揉めている一部の学校のことなどが頭に浮かぶのですが、この学校ではそういうこともなく、安心しました。晴れの場で堂々と国家を斉唱する、というどこの国でも当たり前のことをこれからも実践していって欲しいです。

ちなみに、国家と横浜市歌は斉唱されたのですが、校歌は省かれていました。なんで?ほかに歌う機会がいくらでもあるからでしょうか?

開会の辞と閉会の辞は校長先生が執り行います。このとき、参席している生徒は全員起立をして校長先生を迎えます。目上の人が壇上に上がるときには当然の行為ですが、最近そうではない例も聞きましたので、彼らは子どもにも劣る行為をしたということですね。

大の大人が、すべきでないことと、やりたくないことの区別も付かないとは、情けない限りです。でも、参席中に、こんなことを結び付けて考えているのは私ぐらいでしょうねぇ。

最近は、「蛍の光」も「仰げば尊し」もないのですが、卒業生と在校生が交互に言葉と歌を交わしていく様は、ものすごい長丁場でしたが練習の成果かばっちし決まり、卒業生の気合いが感じられました。

予定を30分も超過して、2時間半も立ちっぱなしだったので疲れましたが、妙にすがすがしい気持ちで帰路についたのでした。よい卒業式でした。

以下は余録。読まなくてもよい話です。

式典をきちんとしたものにしたい、卒業生最後の晴れ舞台に花を持たせてやりたい、という学校側の意図が強く感じられました。保護者席は一家庭一席のみで、その他は立ち見。ですから基本的に両親以外は来ませんし、小さいお子さんを連れてくるということもありませんでした。当然、脚立、三脚などの撮影機材の持ち込みも禁止。座席での撮影も禁止。

ここまでやらないとならないというのも親の立場からすると情けないというか反省しなければならないのですが、そのおかげで着席している人(多くはお母さん)は座って見たり、拍手したりと落ち着いていました。立ち見ではその場で撮影に専念できるので変な移動もなく落ち着いていたように思えます。

参席する側には、式典を粛々と進めて恙なく終わらせることに協力する義務があると思うのですが、一部暴走し出すとあっという間に全体に拡がってしまうので、こういう手合いは最初から押さえていかなければならないのでしょうね。

最後に、デジカメやデジカムの電子音はできるだけ切ろうよと思いました。静かな場で、ピッピッピだのピロロだのあっちこっちで鳴っているのはあまり気持ちのよいものではありません。ケータイのように撮影音が切れないなら仕方ないですが、普通のデジカメなどでは電子音は切れるのですから、あらかじめ切っておいた方がよいと思うのです。撮影テクを教える前に、知っておきたいカメラの機能として説明しておいた方がいいな、と商売柄感じました。

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