今日は、鏡開きだそうだ。
鏡開きといえば、鏡餅をたたき割り、焼いたり揚げたり、煮たりして食べるものだ。
それで、一年の家庭円満を願うのである。
年末から飾り、正月を過ごし、11日まで置かれた餅は乾燥し、ひび割れている。
下手すると、すでに青カビが生えていることもある。
それを木槌でかち割り、カビの部分を削り取り、
・火鉢やストーブで焼き、醤油を付けて食べる。
・油で揚げて塩をまぶし、揚げ餅として食べる。
・小豆汁などで煮込み、汁粉として食べる。
というようにお好みでいただく。
これが、かなり前までの鏡割りの風景であったが。
今は、形は鏡餅でも、それは単なるパッケージであり、プラスティックの餅の中に個別包装された切り餅、丸餅が入っている。
当然ひび割れないし、カビも生えない。
中の餅も、ひび割れないし、カビも生えない。
そのまま取り出し、保存もしておける。
木槌でかち割るのを楽しみにしていたときを思うと、寂しいなぁ。
でも今は、餅はありがたいものではないのだろう。
餅そのものが美味しくなくなってきたこともある。
うるち米はともかく、トウモロコシの粉など、混ぜものが多くなってきたこともある。
伸びないし、膨らまない。
第一、うまくない。
サト○の切り餅なんか、子供たちも残す。
水稲餅米100%というのもあるが、それは本来の餅である。
子供たちの評判もいい。
こういうとき、子供の味覚は正直だ。
煮ても焼いても、平らげる。
伸びるし、膨れる。
ちょっと高めになるが、まずいものを食うことはない。
と言いながら、年末にはこの鏡餅のキットを組み立てる。
ちょっと前までは、台座や飾りも組み立てたものだが、今では最初から組み立てられている。
水引もすでに装着されている。
そこに、注連飾りを引き、偽物の橙と、扇を両面テープで装着する。
楽でいいが、なんか物足りないなぁ。
その気になれば、米屋に鏡餅を注文し、飾りも自分で調達し、橙も本物を用意する。
それを、崩れないように慎重に組み立て、床の間に置く。
イヤ、そもそも、床の間がないぞ。
そうだ、餅を焼こうにも火鉢もストーブもないぞ。