「もったいない」という本が売れているそうだ。そういえば、ズーム・インでも辛坊治郎が言っていたな。辛坊治郎の話を聞いたときには、そうだ!そのとおりだ!と思ったが、どうやらこの本はそういう内容ではないようだな。
辛坊治郎のニュアンス。私が受け取ったのは、こんな感じ。すでに形あるもの、歴史あるもの、そういうものを壊して新しいものを作るということは、どうなんだか?そう、それにはそのとき共感した。私が思っているのもそのとおり。今は、簡単に過去をないがしろにしすぎる!すべてのものは、過去があって成り立っている。場合によってはそれを捨て去ることは必要だろうが、少しは考えてやっているのだろうか?
表題の本は、ワンガリ・マータイさんが提唱している「もったいない」の言葉と精神、それを表現したものだ。しかし実際は、「プラネットリンク」なる市民団体と思われる人たちが執筆しているようだ。ノーベル平和賞も、市民団体の活動のネタにされてしまっているのでは?と反発覚悟で思ってしまう。だから、内容については触れないことにする。
私は、ワンガリ・マータイさんの「もったいない」精神には賛成だ。もったいないの精神は、身近な消費財にとどまらず、ありとあらゆる局面に必要だ。人が考え培ってきたもの、土地に根付き、成長してきた木々や建造物、あらゆるものに。そういうものを捨て去るとき、そこに思考や検討はあるだろうか。これを捨て去ることに、苦渋の決断はあるか。しょぜん自分には関係ないもの、あまりに軽く見過ぎてはいないか?
活発な経済活動には、消費が必要だ。皆が皆、いまあるものを大事にしていたら、交換需要は発生しないし、新しいものへの興味も失せる。「もったいない」の精神は、経済を停滞させるかも知れない。未だに消費型、生産型の経済モデルが幅を利かせているなら、そうなるだろう。もし、経済を活性化させるメカニズムが、消費、生産以外に見いだせたらどうか?
難しい話だが、マスコミの過剰報道にもあるように、望む人がいる限りは、局面は変化しないのだろう。望む人と仕掛ける人、そのへんがうまくかみ合っているのが現在であり、それによって経済的な活性化がなされている。皆は経済成長を望むのか?望む人のペースにはまっているのか?もし、仕掛けられなければ現状は維持されるのか?
酔っぱらっているので、このへんで。この話をやっと書けたよ。でも、支離滅裂だった。スマソ。