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どっちもどっち!

今日、あ、もう昨日だね。豆まきあるから、少し早く帰らなきゃね、って乗り込んだのは地元の急行電車。だけどやっぱり、急行電車って乗り込んでいる人種が少し違う気がするのよね。

私の立っている前には、大学生と思われる二人連れ。7人掛けの席に6人だから、少し詰めればもう一人ぐらい入れそう。

そこに、不審な人登場。ぶつぶつ言いながら、空いているか空いていない席に、強引におしりを押し込みはじめた。多分、「お前らもっと詰めろよ、もったいじゃね~かよ」と言っていたのかわからないが、とにかく何か喋り続けているおじさん一人。退く周囲の人々。思わず左右に詰め始める座った人々。傍観する私。しかし、おじさんが静かになった時点で、元通りの静かな車内に。

しばらく電車は走り、大学生の一人が降りようとする。その大学生は、私の目の前にはいないのだが、立っている人の前(つまり座席との間)を強引に通り抜けようとする。今まで連れと活発にカンバセーションしていたとは思えない寡黙さ。結局、一言も口を訊くことなく立っている人の前を押しのけて降りていったのであ~る。

この二人には共通項があるな~。おじさんが割り込んだときにはすごく迷惑そうな顔をしていた大学生とおぼしき彼は、自分がそのときになればやはり寡黙に。つまりさ~、自分にとっての正義があるなら、言葉は不要というのがあるわけよ。

おじさんから見れば、「7人掛けの席に6人しかすわっとらん。けしからん。詰めるべきであ~る。」

大学生から見れば、「混んだ電車で降りる自分がいる。みんな、通路を造って当然でしょう?こっちは降りる意志を示して押しているんだから。」

なんでも自動になって、相手に働きかける必要もないシチュエーションばっかりで、だから人相手でも同じに思っちゃうんだろうけどさ、こういうのってどうなの?逆じゃないの?身内なら気心知れてるから、気を利かせたり以心伝心とかあると思うけど、他人はそうはいかないでしょう?だからこそ他人には言葉や態度で意思表示をする必要があると思うのだけど、逆になってしまってるよね。

エレベータで、しまり間際で開けてもらって乗ってきた人が、乗った直後からずっと無言だったんだけど、同じ勤務先?の人がいるとわかったらいきなり活発に話し始めて。「行っちゃうかと思った~。よかった~。」って、そういう気持ちは表現しないとダメよ。

あ~また小言になってしまった。

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