これぐらいの歳になると、ひとり暮らしをしていたときが堪らなく懐かしくなることがある。自由気ままなアパート暮らし、自分だけの6畳の空間、自炊の食事、万年床、基本的に自分以外は「お客さん」であった感覚、そういったものがすべて懐かしい。そのひとり暮らしが終わろうかというときに、このコミックを初めて読んだ。だから、最初に読んだのは20年近く前であり、この作品が連載されていた、あるいはコミックスになった、そんなジャストのタイミングであったのである。
この作品は、「オレ」「耕助」「コースケ」という苗字が不明という、おそらくは20代前半と思われる癒し系の社会人が織りなす、ビンボー生活の実践マニュアル、いやマニュアルというよりはドキュメンタリーである。舞台は、おそらくは(推測ばかりで申し訳ない)東京都の丸ノ内線沿線、新宿以西、荻窪以東というあたりのどこかと思われる(ソースは、第1巻第3話)。
だが、ここまで書いてしまって何だが、どうも小田急沿線も臭いのである。なぜなら、牛丼勝負をしている際に、開かずの踏切を「はこね」号が通過するからだ(第2巻第46話「牛丼勝負」)。とすると、小田急線の下北沢から成城学園あたりが怪しい。世田谷区であるのは間違いなさそうだ。雪の降った朝、徘徊するシーンでは複線の踏切がきちんと描かれている(第2巻第37話)。丸ノ内線には、踏切はないからだ。まるで、邪馬台国は九州か近畿かで揉めている話のようなスケールの大きさだ。
コースケは、二階建てで庭もある、「平和荘」というありふれた名前のアパートの二階に住んでいる。今は絶滅危惧種に指定されていると思われる、トイレ共同、風呂なしというものだ。大家の家が隣にあるので、かなりの頻度で大家が物語に登場する。大家は、亭主に先立たれて子供も家を出て、ひとり暮らしをしているらしい。ここまで書くと悲惨な境遇の者ばかりが住んでいる場末のアパート、というような印象を受けるが、隣人でもある「学生」「広田」くんははエアコンこそないものの、ベッド、冷蔵庫、ふとん乾燥機、オーブントースターなど文明の利器を備えて、コースケの役に立っている。コースケの元にないものは、必然的に学生を頼るので、コースケにとってマテリアル的なキーパーソンとなっている。ちなみに「広田」くんという名前は、第5巻123話でようやく登場する。「広田」くんは早稲田の学生で、慶応でないところがいかにもこのお話しらしい設定である。
コースケは、仕事をしていない。ときどき、バイトらしきものをしているが、基本的には働いていない。だから、お金のないときには相当ひもじい思いをしているらしい。このようなときに現れる女神が、「カノジョ」「ひろ子」さんだ。この作品の中の美の基準が今ひとつ不明だが、美人という設定になっている。大学生で、美術を学んでいるという設定だ。この「カノジョ」は、コースケの部屋に鍵が付いていないのをいいことに、ことあるごとに上がり込み、酒や食事を振る舞ってくれるのだ。そして、用が済んだら帰って行く。やもすれば世捨て人的な話ばかりになってしまいそうなこの作品を、現世への接点をうまいぐあいに作ってくれる、コースケにとってはスピリチュアル的なキーパーソンとなっている。
この作品には、やたらと食べ物が登場する。それもそのはずで、ある人の生活レベルを計るには、その人が何を食べているかを知るのが、ひとつの重要な指針になるからだ。カップラーメン、牛丼、ホカ弁、パンの耳、ご飯と味噌汁、あんパン、焼きおにぎり、あまり高級なものは登場しない。たまに高級なもの、しゃれたものが出てくるとなれば、それは「カノジョ」絡み、「学生」絡みである。そんなコースケも、たばこだけはしっかりたしなむのである。
この作品には、欲がない。もっと何とかしようとか、ないから何とかしようとか、ゼロをプラスに、マイナスをゼロにする、そんな発想がないのである。現状を受け入れて、その中でできることだけを行い、状況が変わればありがたく、あるいは残念ながらも受け入れる、そんな発想が貫かれている。だからコースケは無理をしないし、そのおかげでひどいときもあるけれど、いずれは好転する。
最後に。この投稿の先頭では、現在購入することのできる文庫本(上下2冊)を紹介している。当時は、大判のコミックス5巻であった。それはいいとして、このカバーは何だ、と言いたい。オリジナルのほのぼのさがまったくないし、美しすぎる。コースケの目は点でいいのだし、ひろ子さんの目には星なんていらないのである。また、変なお笑い芸人の推薦文も要らない。このお笑い芸人はかつて貧乏だったのかも知れないが、貧乏の質がまったく違うと思うのだ。
私は歳をとってしまったが、同じようにコースケが歳をとっていたとしたら、果たしてどんな中年になっているのか、ぜひ知りたいと思うのである。特に「カノジョ」とはどうなったのか。「カノジョ」は、酒好き、物好きという一風変わった中にもしっかり者の女性という印象もあったが、コースケとの関係はその後どうなったのか、ということも気になるのである。普通の女性なら結婚を望んで、コースケも働き始めて、などと思ってしまうが、この二人、ずっとこのままであったのではないかと、ちょっと思うのだが。いっそのこと、そうであって欲しいと思うのである。ビンボーは、個で完結してるからこそ、楽しめるのだと思うから。