養老さんの本は面白いので、見掛けると買ってしまうのだが、これもその一冊だ。「解剖学教室へようこそ」と言われると、本のカバーも相まってちょっとした怖さを感じてしまうのだが、なぜかこのような内容には惹かれてしまうのだ。いったいなぜなんだろうと考えたら、その答えは本の中にあった。
この本は、解剖学とは何なのか、解剖学の歴史、体のつくり、という具合に、おおまかに三つの内容について書かれている。最初に話される、解剖学とは何か、ということについてはちょっと気持ち悪くなるような話も書かれている。歴史については、日本では誰が最初に解剖を行ったとか、外国ではどうだったのか、といったことが書かれている。最後の体のつくりについては、体を原子レベルにまで掘り下げて本質を書いている。このうち、歴史に関しては少々退屈な印象も受けるが、人々がなぜ解剖をしようとしたかという大事なことが書かれている。
解剖学とは何か、ということを読んでいると、手塚治虫氏の漫画「ブラックジャック」の作品のひとつ、「死者との対話」を思い出す。この話では、医学生が自分の道に疑問を感じているときに、解剖学教室でブラックジャックと出会う。そのときに、献体になった男がかつての患者だったということで、傷跡を確かめて完治しているのを見て安心する、という話だ。解剖は、生前の死者との対話である。献体は死んでいるのだから、今見ているものは生きているときの結末である。
さて、手塚氏の作品では、一日で解剖が済んでしまったように書いてあるが、実際には何日にもわたって解剖は実施されるようだ。そこで疑問なのは、死体は腐らないのか、ということである。そこで、よくある話はホルマリンに漬けてあったから大丈夫、ということであるが、それはウソだとこの本は教えている。いや、ホルマリンは正しいのだが、漬けてあったとしても防腐にはならない。実際には体中の組織に送り込まれ、タンパク質を変性させるそうだ。変成させると、腐らなくなる。なぜそうなるのかは、この本を読めばわかる。
この本は解剖学の話だが、それ以外の部分でも面白く読める本だ。分子生物学の話も、いやだといいながらしっかり書いてある。名前を付けることによって境界ができる、というのは哲学的だ。また、五行思想をベースとする中国と、アルファベットを持つ西洋の思想の違いが解剖学にまで及んでいるとは驚きだ。レオナルド=ダ=ビンチが解剖をやっていたというのは絵のためらしいし、そういえば「T-REX」という映画に登場した恐竜画家のチャールズ・ナイトも、女の子の質問にそう答えていた。要するに、人体、動物の中がどのようになっているのか知らないと、決して生きた絵にはならないのだ、ということを言いたいのだろう。
そこで、私が解剖学とか、そんなものに惹かれてしまうのは、どうやら自分の最も身近なものなのに、それが一体どんなものなのか見ることもできない、触ることもできない世界に、少しでも近づきたいと思う心からなのではないかと思うのである。自分で腹を開いて見ることもできない(死んじゃうからね)、透かしてみるのも無理(脂肪の層が厚いからね)、という世界を理解したいという現れなのであろう。