ある人から薦められて、「祖国とは国語」という本を購入し、読んでみました。著者は、ベストセラー「国家の品格」で有名な藤原正彦さんです。数学者である著者が、「一に国語、二に国語、三四がなくて、五に算数」とまで言い切るその根拠は何か、興味を持って読み進んでみました。
この本は、平成15年に講談社から刊行された単行本が、平成17年に文庫化されたものです。なので、執筆時は平成14年か15年、そう思って読まなければなりません。ですが、今書かれたもの?と思って読んでも違和感がありません。著者の指摘する状況は、そのころからたいして変わっていないということなのでしょう。内容の方は、「国語教育絶対論」「いじわるにもほどがある」「満州再訪記」の三つのパートからできています。このうち、「国語教育絶対論」が本のテーマに最も近いもの、「いじわる~」は朝日新聞連載のエッセイの再録、「満州~」は雑誌「考える人」に掲載されたものの再録です。
まず不思議な感じがするのは、その書名ではないでしょうか。「祖国とは国語」、その意味は少し読み進めばわかります。祖国とは、血でもなく、国土でもない、国語なのだと言った、ある人物の言から取っているようです。ネタバレになってしまいますので、これ以上は書かないことにしましょう。
「国語教育絶対論」は、「文藝春秋」「日本の論点」「産経新聞」などに掲載されたエッセイですが、テーマは国家の問題として小学校で国語教育を最重要視すべき、英語、パソコン、株などはもってのほか、という論点で貫かれています。算数の問題だって国語で書かれている、あらゆる論理の下地になるのは正しい国語の解釈と組み立てだと主張します。また、国語によって言葉によるさまざまな表現に触れて、そこから生み出される、培われる感性こそが大事とも言っています。ですがこれも序盤の話で、中盤、終盤は憂国的な話も多くなるのですが、
印象的なのは、「愛国心」という日本語の言葉が、英語では「ナショナリズム」(Nationalism)と「パトリオティズム」(Patriotism)の二つを同時に表してしまっているというくだりです。Nationalismの方は、言い換えれば国益の心、Patriotismの方は祖国愛の心であるといいます。前者は他国を排除しても自国の利益を守り抜く、といういわば今巷で認識される「愛国心」です。後者は、単に自らの祖国の自然、人、文化、歴史、伝統を愛そうという心です。これらが同じ言葉で表現されていることに不幸があると著者は言います。まったくそのとおりと思います。特に戦後、愛国心は国の道筋をゆがめるものとして、排除する方向に向かった経緯があります。ですがそれは祖国愛をも奪う結果となり、日本に住みながら日本が好きでない、妙に自虐的な心理を生み出しました。まったくそのとおりと思います。
話は逸れますが、ビジネス誌「日経ビジネス」のポッドキャストがあります。そこでは、同誌の編集長である井上裕(ゆたか)氏が、最新の同誌の記事に関連したトークを行っているのですが(これがすこぶる面白い。金曜昼のお楽しみである)、ここのところ目立って口にする発言に、「日本は経済大国であるという認識をいったんやめよう」というのがあります。日本は経済大国であり、この先もそうでなければならないという前提に立つと、いろいろな判断や施策を誤る、という意見です。これにも同意します。もしかしたらもう経済大国ではないのかも知れないし、その後はそこから落ちるだけかも知れない。そういった認識を持つことで、今の状態を正しく認識し、正しい認識に基づいた施策が打てるというものでしょう。
同時に、日本人は素晴らしい文化を持ち、自然を、国土を愛するという認識も、いったんは捨てたらどうでしょうか?こういう認識を持っているのは、実は日本人だけではないでしょうか?外国人から見たら、最近は日本文化をないがしろにしているし、自然を破壊し、国土を荒廃させている、というように見えるのではないでしょうか?評価は、外部から来るものです。自身の発言は、評価ではないのです。抱いている認識をいったん捨て去ることで、素晴らしい文化があるか、それを守っているか、自然を愛しているか、国土を愛しているか、そういうことを再認識できるのではないでしょうか?
話を本のことに戻しますと、残念なのは、後半が「雑記帳」のような感じになってしまっているということです。それはそれで面白いのですが、どうせなら、前半の論陣をもっと深く、貫いて欲しかったです。途中でトーンというか雰囲気が変わるので、「あれ?」と思うはずです。実際のエピソードに基づく話は面白いのですが、これを読みたいと思って本を買っているわけではないはず。