サイトアイコン たまプラ通信

直接の理由(わけ)

毎朝の通勤電車が遅れることはよくあることだ。事故や事件が発生すれば遅延の原因になるし、雨雪といった天候も遅延の原因になる。そんなこと別に珍しくないし、改めて書くことでもないじゃん!などと言われそうだが、車内で隣に立っていた老夫婦の、つい耳に入ってきた会話に、にやついてしまったので、あえて書いてみることにした。

今日も、電車は遅れていた。雨だからという理由だろうが、ターミナル駅に近づけば近づくほど、駅間で停車、あるいは徐行する頻度が高くなってきた。そのとき、車内アナウンスが「停止信号が出ているため止まっております。」と流れる。するとすかさず、隣に立っている老夫婦のうち、ご婦人の方が「信号が赤なら止まっていても当たり前じゃない?なんでそんなことをわざわざ言うのかしら?」とおっしゃった。私はこれを聞いて思わずにやついてしまった。そうだよ、そうなんだ。なんでこんなことをわざわざ言うのか、ずっと疑問に思っていたからだ。

別に、電車が止まっている状態で何も言わず黙っていた方がよい、ということではない。言うならば、もっと意味のあることを言うべきではないのか、ということをそのご婦人も言おうとしていたのだと思う。以前、最悪の車内アナウンスを聞いたことがある。「ただいま、電車は止まっております。発車まで、しばらくお待ち下さい。」おいおい、それは誰でも(寝てさえいなければ)わかるだろ?いくら何でも、と思っていたら案外とマジらしい。止まるたびに、これを繰り返すのである。続きの文句は、「この先も止まることがありますがご了承下さい。」了承しろと言われても、了承しなければならないことには変わりないから、なぜにわざわざそんなことを言うのかわからない。

話を今回のアナウンスに戻せば、「停止信号で止まっております。」から発展させて、乗客にとって意味のある情報を流すようにすればいいと思うのだ。段階を踏めば、以下のような感じだ。

「停止信号で止まっております。」→だからどうだっての!
「先行の電車に遅延が出ているため、当電車も遅れております。」→前の電車のせいにするな!
「雨天の影響による混雑により、電車の運行に遅延が出ております。」→理由はわかった、だからどうなの?
「雨天による混雑で電車の運行に遅延が出ています。○○駅到着は10分ほど遅れる見込みです。」→10分か、でも時間が読めるなら待つしかないか。

遅れているのは事実だし、それはしようがない。とすれば、乗客の知りたいのは、遅れている理由と、その被害の程度(この場合は時間)ではないのか?そういった実用的な情報を流さずに、今の状態報告だけをつらつら流しても、意味のないことと思うのである。これと同じことが、実は日常的に溢れている。私の仕事場の会議でも、「遅れているのでスケジュールを変更します。」と平気で報告する部下がいる。報告を受ける側が知りたいのは、「なぜ遅れているのか?」「遅れるならいつまで遅れるのか?」ということである。原因がわかれば手を打てる可能性があるし、遅れの程度によっては、てこ入れを講ずる必要性が生まれるかも知れない。そういった判断の材料を与えない報告は、ダメダメと思うのだ。この場合、「なぜ遅れているの?」「確認します。」「いつごろまで遅れるの?」「これも確認します。」である。なにをか況や、である。

こういったことは、直接の理由しか関知しない、つまり自分が今直接見ている、あるいは聞いている、感じている、そういったことしか情報としてインプットされない、できないことに理由があるのかしら、と思ってしまう。直接の理由の向こう側を覗き込み、本質的な理由はどこにあるのか探る行為、それが重要なのではないかと思うのだ。電車の遅延アナウンスから出た話としては大げさかも知れないが、根っこは一緒だと思うのだ。前の部下の例で言えば、その部下は自分の部下の報告を聞いて、そのまま報告したのだと思う。そこですべきことは、「なぜ」という問いかけを投げることであり、部下の問題を「自分の問題」として転換する行為である。

何か情報を流すときには、受け手のことを考えねば意味がないなぁ、と改めて思うのだが、このブログがはたしてそういう作りになっているかというのは、甚だ疑問であるかな…。

ちなみに、前の老婦人、ついつい耳に入ってきてしまうので勘弁して欲しいが、ミクシィで見つけた人にメールした、みたいなことを平気でおっしゃるのである。いやはや時代は変化している、ぽかんとしていた老亭主の顔が妙におかしく、またもにやついてしまったのであった。

モバイルバージョンを終了