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たかが風邪、されど風邪

ひどい風邪に悩まされている。先週末から、熱こそないが鼻詰まり、喉の痛み、頭痛、筋肉痛などに悩まされており、今も続いている。こういうときは、栄養価の高いものを食べてひたすら休養、と相場が決まっているのだが、仕事もあるし、そうも言っていられない。休まないから、なかなか好転しない。それにしても、いいかげん歳をとったのかしらというぼやきもしてみたくなるが、そんなことを言っていても治るわけもないし、それを受け入れるのも癪だ。

コデマリ(小手毬)

これでも、風邪の予防には気を遣って来たつもりだ。マスク着用、手洗い励行、うがいもする。人混みは避け、咳き込む人からは逃げ出し、ビタミン摂取に努め、寝不足にならないようにし、ジム通いで体力作りも始めた。それでも風邪をもらってしまった原因は、自覚症状がありながらそれを気にもせずに平気で人前に出てくるところか、むしろ風邪をひいてもしっかり出てきて働いているエライ俺、を気取っているアナタ、そうそこのアナタだ。

いざ、風邪の予防に努めていると、いかに世間が風邪に対して無神経がが実感できる。電車の中でげろげろ咳き込んでいても、密閉した会議室の中で鼻をぐずぐず言わしていても、そういう人に限ってマスクひとつしていない。ひどい人になると、手やハンカチを口に当てることもせず、飛沫を飛ばす。こちらが電車で座っていて、目の前でそれをやられると、思わず「アン・パーンチ!」と腹に一発くれてやりたくなる。こんな感じだから、私が凶悪な風邪をもらってくる確率が我が家ではもっとも高い。生活圏が、家族の中ではもっとも広いからしようがないが、だからといって外に出ないわけにもいかず、できることと言えば、すでに書いた防衛策ぐらいである。

無神経な大人が風邪だのインフルエンザだのをもらって苦しむのは自業自得だが、とばっちりを受ける人もいる。小さな子供や老人、体力の落ちている人など、そういう方から真っ先に被害に遭うかと思うと、やるせない感じがする。このへんは、喫煙問題と同じ構図のような気がする。「もらう側」より、「あげる側」の方が、配慮すべきなのだ。なぜ、こちら側がマスクで防衛し、あちら側は野放しなのだ?あちら側がマスクただひとつを着用するだけで、不要に病原菌をばらまかずに済むのだ。と愚痴ってみたくもなる。

今宵も、いつ治るかも知れない風邪に安眠を妨害されつつ、移してしまった家族にはゴメンと心の中で手を合わせ、詫びるのである。

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