子供が風邪を長引かせていた(多分私が移した、すまん)ので医者に診せたら、インフルエンザと診断された。いつもの年なら、3月といえばインフルエンザも収束に向かっている時期で、もともと丈夫な子なので罹らずに過ごせそうなものだったが、風邪で弱ったところに罹ったのだろう。油断ならないものである。インフルエンザと診断した小児科医は、タミフルを処方した。そう、最近でも服薬した少年が異常行動をとって死亡したという、あのタミフルである。
結論から言えば、タミフルを服用させたのである。これで快方に向かい、今ではかなり元気なのだが、薬が効いてよかったなと思うことにしている。もちろん、タミフルに関するいろいろな報道は見聞きしているし、それなりに情報収集もした。現時点で、タミフルを服用することがベターであれば、それを選択した。インフルエンザの場合、子供では脳症など神経症を併発することもある。そういったことも考えなければならない。
ここのところのタミフル騒ぎで、ネットでも情報収集したが、異常行動こそあったが事件にはならなかったケースをブログのネタとして披露している母親もおり、興味深く読んだ。けっこう、この手の書き込みが多いのに気付く。果たしてどの程度の頻度で起きるのかはわからないが、まるっきり特殊なケースでもないような気もする。タミフルを服用させる場合、そういった事態に遭遇しないか警戒することは、必要だ。そういう意味で、政府、あるいは医師がタミフル服用に当たって警告するのは必要だと感じる。
だが、過剰反応と言えないかというような報道、ブログなども目立つ。印象に残ったのは、異常行動をとったが回復した子供が昨今の報道を見て、母親に二度とタミフルを服用させるな、と嘆願したという記事である。子供からしたらひどい目に遭って、あんな目に遭うのは懲り懲りだという当然の意見だろう。だが、適当な薬も投薬されることもなく、下手すれば悪化して、最悪脳症で死亡、などというケースも考えられるのだ。こういったときは、子供の意見より、親の判断が重要、と思うのである。それを置いておいて、子供がこんなことを言ってました、当たり前ですよね、といった報道はいささか感情に走りすぎというような気がする。もちろん、実際になくなったお子さんや、その親御さんには、お気の毒としか言いようがないのだが…。
話は変わるが、今日、電車に乗っていたら、優先席付近で携帯電話の使用をやめろ、電源を切れ、というアナウンスが流れた。今に始まったことではなく、前から普通に流れているのだが、タミフルのことが頭にあって、ついついつなげて考えてしまったりもするのである。タミフルの場合、異常行動との因果関係が疑われているから、処方を禁止するなどの処置をとるべき、といった意見も聞かれる。携帯電話によって心臓のペースメーカーに悪影響を与える可能性があるから、優先席付近では電源を切れというが、因果関係は完全に証明されていないから、ついつい使ってしまうという話も聞く。片方では、危険性があるかもしれないから禁止し、片方では危険性はないかも知れないから禁止するほどではない、ということを同じ人が言っているかもしれないなあ、そんなことを考えてしまった。双方とも人命にかかわるのだから、重大さは同じであるはずなのに、である。
タミフルの教訓は、あらゆることに100%の解は有り得ないということを改めて認識させられたということと、消費者である我々も知識を得て学習しなければならないということを思い知ったということだろう。100%の確率でないものを相手にする場合は、どこで妥協するか、選択するかということが重要になる。世の中は、基本的にこれである。100%というものなど、ないのだから。それに必要なのは、知恵であり、知識である。騙す方が悪い、嵌める方が悪い、隠す方が悪い、というのは当然だが、そういうのは今に始まったことではなく、人類の歴史の流れの中で普遍的に存在するのである。言い方は悪いが、無垢な私たちをどうか騙さないで、陥れないでと嘆願するよりは、不毛なことに見えても、不正や欺瞞を見抜く目を養う方に努力したい、頑張りたい、そう思ったこの一週間であった。