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今日の出来事(070525)

今日は雨だし、ずっと缶詰になっていたのでネタも写真もないのだが…。と思っていたら、腹が立つどころか「あきれかえるのひっくりかえる」(死語)的な話があった。ご存じの人は多いと思うが、最高裁から差し戻しになり、高裁で公判になっている殺人事件のことである。

法廷をイデオロギー闘争の場にするな!

この事件の被告人にどのような量刑がふさわしいかということは、あえて触れまい。話にしたいのはあの総勢21人の弁護団のことで(そもそもこの手の事件の公判に21名は異常)、誰が聞いても「へ?」と思うような弁護理由をよくもまぁ堂々と口にできたな、という感じだ。あの人達は、自分の奥さんや子供、お孫さんがこれを聞いたり見たりして、どのように感じるかとか、考えないのだろうか?それとも、「あなた、不当な罪を被りそうな人を守る立派なお仕事、がんばって(はーと)」とか「悪い人と闘っているんだね、おじいちゃんってすごい!」とか言われてしまっているのだろうか?直接面識のない第三者がどのように思うかには耐えられても、身内や卑近な人たちが思うことについては、鈍感ではいられないのではないだろうか?まぁ、それは置いておいても、弁護団のトップの人の思想背景は周知の話で、そういった思想背景の人が今回の公判をアピールの場にしようと目論んでいるのは間違いないと思う。でもこれはおかしな話だ。弁護士の役目は正当な範囲での被告人の利益を守ることであり、イデオロギーを主張したりするようなことではないはずだからだ(建前では)。それも、子供でも考えないような幼稚なロジックを持ってでは、へそが茶を沸かす、である。

これに関連して最近思うことに、そんなつもりじゃなかったとか、気付かなかったとか、忘れていたとか、そういうことを言い訳にした話が多いような気がする。つまり、故意(わざと)でなかった=過失(うっかり起きてしまった)ということだ。身近な例では、仕事上の依頼ごとをメールで伝えたが、相手から何の反応もないので問い合わせたら、メールを見逃していましたとか、そういった話である。この場合、依頼が処理されていなかったことで、その後の行動におおいに支障が出たが、本人が「見逃した、すいません」で来る以上、それ以上攻めるわけにもいかない。メール送信後に、口頭なりできちんと確認すればよかっただけの話だ。だが、本当にそれでいいのだろうかとも考えるようになっている。故意でなければいいのか、過失であれば問題ないのか、といえば、決してそうではないだろうか。要は結果で、結果に対して責任を取るべきなのだ。メールを見逃していたのはしようのないことにもとれるが、メールが業務上必要なツールとして確立している組織では、それをきちんと見て当然、見逃した場合には本人の責任である。それとは違って重いたとえ話だが、とても腹立たしいことに、子供を虐待しているのに「しつけ」とか「教育」とか、すなわち虐めるのが目的でなくて、子供のためを思って、などとしゃあしゃあと口にする親がいる。だが、結果として子供にダメージが行っているのならば、それがしつけであろうが、虐待であろうが、親は責任を問われるべきではないだろうか。同じダメージでも、「虐待でやった」なら責任は重く、「しつけとしてやった」ならば情状酌量される、ということを知っているから、事実でないことでも口にしてしまうのである。

本当に、最近、このような話が多いような気がする。毎日、もやもやが晴れない感じだ。

ほうれん草のおひたし入りそば

このままじゃもやもやして終わるので、少ししょうもない食べ物ネタ。今日の昼は時間がなかったので、雨の中近くの立ち食いそば屋に行く。ちったあ野菜を採りたいね、ということで、ほうれん草のおひたしの入ったそばを注文する。だが、いかんせん、そばとほうれん草だけでは、どうもお腹に溜まらない(また深夜まで仕事だし)。そこで、1枚追加してかき揚げを乗せてもらうとあら不思議、すごく豪華なおそばになったじゃないか。油分もあって腹持ちもよいし、かき揚げにもタマネギ、人参など野菜が入っている。ワカメも乗っている。ほうれん草のおひたしもたっぷりだ。おまけに、削り節も乗っている。う~ん、でもよく考えればタンパク質が足りない。それに、こんなのでうれしいなんて書いていると日頃の食生活が偲ばれる…。ちなみに、週に一回はのり弁だ。天気のよい日、緑の中で食べるのり弁は最高だ。

いいのかこれで?

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