今日は、習い事の日らしいですね。何でも、6歳の6月6日に習い事をはじめると上達が早いとかで…(真偽のほどは定かでありません)。でも今は、もっと小さいときからやらせますよね。私は習い事にはまったく縁がなかったので、今は無芸大食という状態です。強制的にピアノでもそろばんでも武道でもやらせてくれればよかったのに!と家族に言ったりもしましたが、そもそもそんな発想はまったくなかったみたいですね。無事に育てばいいみたいな。でもまぁ、自分で主張できるようになっても特に何をやったというわけではないので、やっぱり血ですね。お互い様です。
煙たい話で炎上覚悟
「煙たい話」で「炎上覚悟」って、何の話かわかりますね。最近、同僚が念願の禁煙を継続していると聞き、ついにやりましたか、やればできるんですねぇ、と思う反面、手を切ることができないところか、そのそもそんな必要性も感じない輩も依然として多いのがどうも腑に落ちず、書かせてもらうことにしました。
続けてその同僚のことを引き合いに出させてもらうと、彼は外国産の香りのよいものを日に数度吸う程度のものだったのですが、それさえもキッパリやめたとかで、その真の動機は図りかねるものがありますが、まぁよいことなのには違いないと思うわけです。かくいう私も、3回目の禁煙に成功して5年ほど経過しますが(今度は多分終身)、ひとつ言えることは、
あんなこと(喫煙)をしていたなんて恥ずかしい!
ということに尽きます。喫煙の効能(リラックスする、集中力が高まるなど)を本気で思い込み、あわよくば格好良く見える、大人のたしなみ、なんてあまりのアホさ加減にあきれかえるのひっくりかえる(死語)です。吸っていた人間が吸わなくなると、喫煙者のマナーが余計に気になるようで、その同僚も駅からオフィスまでの道の歩行喫煙のあまりの多さに辟易していますが、かくいう私も嫌悪を通り越して憎悪を抱くほどです。まぁ、かつての行動を棚に上げてのことですから、あまり偉そうに主張できるものもでありませんが、見方の転換には恐ろしいものがありますね。
要は「気付き」の問題だと思いましたので、別に喫煙をやめさせようと書くわけではなく、少し配慮してもらえれば、本人も周囲もハッピーだという視点で、いろいろ書かせてもらおうかと思いました。どこの掲示板を見ても、この手の話は「炎上」の種になるみたいですが、つらつらと吐き出してきたいと思います。果たしてどうなることやら…。