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ペットの死に思うこと

旧来の知人から、飼っていたウサギが死んでしまったとのメールが入った。このウサギは、昔に私が担当した仕事で写真を使うなどお世話に(?)になっていたもので、まんざら知らない仲ではなかった。知人もそれを覚えていて、連絡をくれたのだという。死因は癌ということだが、家族同様に10年近くにわたり過ごしてきた知人には、思うところがたくさんあるだろう。それでも、晩年をきちっと世話をしてもらい、看取ってもらえたウサギは幸せだったと思うのだ。

私はペットを飼わない(エビやメダカはペットではないの?と聞かれると困るが、ペットではないと思っている)ので、ペットを飼う人の気持ちはよくわからないのだが、ペットを飼うという行為には、どうも2種類あるような気がする。ひとつは、動物が好き、愛し愛される関係になりたい、といった派、もうひとつは、いい動物を飼いたい、人に見せてステータスを上げたい、といった派である。知人はもちろん前者であるが、最近目に付くのは後者の人たちかなぁ、と思う。ペットブームを支えているのも主に後者の人たちで、ペットを捨てたり虐待するのも、後者の人たちなのかなぁ、と思う。思っているだけなので、実際は違います!といった意見は多く出るだろうけど、率直な思いである。

最近は、飲食店や小売店でも「ペット可」というところが増えてきて、食事中に犬をテーブルの下に侍らしたり、室内犬を抱きかかえて店内を闊歩する人が目立ってきた。正直、私はこういうのがイヤである。食事中に待たされるペットは、何のために連れられてきているのだろうという疑問もあるし、仮にその場で人間の食事を分けてあげるとかしていたら、その店では食事をしたくないと思う。また、犬をだっこした人を見ると、犬が粗相をしないのかとか、いきなり逃げ出して店内が大騒ぎにならないかとか、気になってしまう。それ以前に、そういう犬はどういうわけかリボンをしていたり、服を着ていたりするのだ。

家族の一員だから、食事も一緒、外出も一緒、それはちょっと違うと思うのだ。気持ちはわからんでもないが、家族同様なのは当人達にとってだけで、私ら他人にとっては他人ですらなく、ただの動物なのである。この辺のギャップの存在が、飲食店や小売店での風景をちょっと違うものに見せてしまうのだろうと思う。

毎朝、大型犬と室内犬を車で駅まで連れてきて、駅構内のカフェでコーヒーをとる老人がいる。そのとき、大型犬はテーブルの下で待っており、室内犬はこともあろうにテーブルの上で寝ているのだ(この時点でダメダメ)。駅だから学生も多く、女の子が犬に寄ってきては、なでたり話しかけたりする。老人は、何を話すということもなく、その様子をにやにやしながら見ており、コーヒーを飲み終わると犬を連れて車で立ち去る。これって犬の散歩にもなっていないし、犬を通じてコミュニケーションをとるわけでもないから、単に見せに来ているとしか思えないのだが、どうだろうか?

ペットを家族として見るなら、もっと違った接し方、扱い方があるのではないかな、と知人のペットの死を聞いて思ったのである。

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