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死体は悩む―上野正彦

「死体は悩む」元東京都監察医、医学博士である上野正彦氏の2冊目の本である(私の購入した)。タイトルについては内容と密接な関係はないので、あまり深く考えない方がよい。それよりも、この本のテーマについて思いを張り巡らした方がよい。

この本の主題は、以下の数点である。

下のふたつはわかりやすい。

医学部に入り医者を目指す今の学生は、基本的にリスクが低く激務でない診療科目を目指すことはよく言われている。産科医、婦人科医、小児科医は減り続け、昨今の悲惨な事故を招いているのではないかということは、的外れではないと感じる。

また、監査医制度のない地域については、ある地域と比べて、変死体に対する扱い、結果について差が出てしまうと言うことだ。ある地域では事件性があるとされても、別のある地域では単なる病死とされてしまうこともある、この差は大きいと思われる。

構造的な部分についてあれこれ言っていても解決されるとは限らないし、逆に構造的な部分ならいきなり解決されることもあるかも知れない。だが重要なのは、やっぱり最初の一個だろう。昭和と平成の死生観の違いである。

これを書いているとき、佐世保のフィットネスクラブで散弾銃による殺人事件が起きている。犯人と思われる人物は、教会で同じ散弾銃によって自殺を遂げているという。はっきり言って、訳がわからない。これをはじめとして、訳のわからない事件が多すぎるのが平成の特徴だ。事件が詳細に報道されるのもあるだろうが、何でそういう事件が起きたのか、事件が起きるにはそれなりの理由があったのか、その理由は正当なものなのか、ちっともわからない。これが最近の事件の特徴だろう。

そういうときに、死体に語らせることができるのが、法医学者である。著者によれば、死体を見れば、ほとんどの場合は隠されているものを暴くことができるという。その死体がない場合にはどうしようもないからこそ、死体を見ることが重要だと言うことであるが、それがかなわないことも多いという。

自分がの身内が、あるいは自分自身が理不尽な犯罪に巻き込まれた場合、それを犯罪として立証してくれることがなければ、なんと情けないか。無念を晴らしたくとも、誰もそれを聞いてくれなくてはなんとも浮かばれない。そういったことがありえない話ではなく、ごく普通だと言うことになれば、だいぶ認識も変えるを得ないだろう。

だからといって皆さん法医学を専攻し、監査医になりなさいとはとても言えない。それ以前に、訳のわからない犯罪が減ることを祈るばかりだ。少なくとも…。

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