あの椎名誠さんが、全国を渡り歩いて土地の食べ物を紹介する、という企画である。単行本は2005年に出ており、私は今年出た文庫版を購入した。どうも、この手の内容のものについ手が出てしまうたちである。まずタイトルを見る。「食えば食える図鑑」と見た瞬間、「これはふつうのものではないな」、と思う。しかも表紙には怪しげなカニのようなものを両手で持つ椎名さんの写真がある。ちょっとめくってみると、いきなりここでは書けないような単語が目に入る。う~む、これは買うしかあるまい。
ということで、この先には普通に言葉にするにははばかれるキーワードが出てくるので、要注意だ。
とにかく思うのは、食べるということは文化なのだなぁ、ということだ。食べるということは、その土地の文化に密着している。椎名さんは、猿を食うインディオやアザラシを食うイヌイットのことを日本人は「うひゃ~」とか思うだろうが、日本人が生で馬の肉を食べたり、タコやウニを生で食べていることを知ったら、彼らも「うひゃ~」と思うだろう、というようなことを書いている。まさしくそのとおりである。その土地で、それぞれのものを食べるのは、その土地の文化であり、よそ者があれこれいう話ではない。逆に、その土地でそういうものを食べるようになった理由は必ずあるはずで、食べたくて食べ始めたというよりは、食べざるを得なくて食べ始めた、という推測を立てている。インディオが猿を食うのは森に猿しかないからで、イヌイットがアザラシの生肉を食べるのはビタミンを取るためである。
というわけで、日本の各地で「こういうの食べられるの?」といったものをわざわざ探し出し、そこに出向いて土地の人にそれを採ってもらい、実際に食べてしまうというのである。読んでいくと、なぜそのようなものを食べるようになったかということがわかって面白い。イソギンチャク、ゴカイ、ウミヘビ、ウツボ、ハブ、蜂の子などなど…。ヘビやウツボの類は「それくらいなら…」と思うだろうが、イソギンチャクやゴカイといった海辺のグニャグニャ系は、「ちょっとそれは…」ということになるだろう。だがそういうものを食べている地方がある。そこに出向いて、一緒に食べてしまおうというわけだ。これは懐が深い。
それにしても、目次を眺めてみるとすごい。いきなり、「睾丸のようなもの」とくる。こいつはたまげた。お次は、「肛門チンポコ生物」である。しかしこれは…。ここで引いてはいけない。こういう表現をさらっとしてしまえるのが、椎名さんのいいところである。だが例えが正確である。イソギンチャクの種類でイソイソギンチャクというのがいる。地元では、「ワケノシンノス」と呼ばれているらしい。イソギンチャクを上から見ると、「若い者の尻の穴」のようだというので、「わけえの」「しんの」「す」ということらしい。おったまげたものである。これがバケツの中で漂っていると白くくったりして「元気のないときのチンポコそのもの」と来る。合わせれば「肛門チンポコ生物」となる。もうこれ以上は書くまい。私も、こんなことを書いていていいんだろうか、と思う。
中に、二編だけ妙なものが混じっている。全日本麺の甲子園大会(何のこっちゃ)と、名古屋編である。実は、これらはすごく面白かったりする。何しろ、全国の麺類(ラーメン、そば、うどん、何でも可)で誰が一番か争うのだ。しかも全国をいくつかのブロックに分けて、たとえば北海道ブロック、東北ブロック、というように争うのだ。北海道はすべてラーメン、札幌、旭川、函館、そして新進の釧路。いやはや激戦なのだ。優勝は、むむむ、これは読んで欲しいのだ。だが、名古屋地区から何種類も出ていて、これは物議を醸し出すのだが、これは「でらうま」に続くのだ。
名古屋といえば、以前朝のテレビで名古屋の喫茶店というのをやっていて、モーニングサービスにおにぎりや味噌汁やらというので「も~これだから名古屋は!」といってにやにやしていたら、「安いんだからいいじゃない!何がおかしいのさ!」と詰め寄られた記憶がある。モーニングといえば、バタートーストやホットドッグ、そういった中途半端にオシャレなものと決まっていて、しかも高い!と思っているので、名古屋のモーニングは信じられないものなのだ。半分は嘲笑、半分は賞賛という、微妙な評価なのだ。だから、そんなにせめて欲しくないのだ。
それにしても、納豆を挟んだサンドイッチや、何でも和えてしまうスパゲティや、辛いかき氷や、とても思いも付かないものが出てくるのが名古屋である。私は、これを読んでいて笑ってしまった。そう、まずそうとか、美味しそうとか思う前に、笑ってしまうのだ。いや、これはすごいよ、うんうん!といった感じなのだ。自分では食べてみようとは思わないが、すごいということはわかるのだ。そしてこれが名古屋という独特の地区ならではのものだということも。味噌も醤油も餅の形もすべて名古屋のあたりで変わるのだ。そういった微妙な地区だからこそ、他地域ではあり得ないものが出てくるのだ。
しかし、一冊の本でこれだけ書けるのというも素晴らしい。この本から読み取れるのは、そりゃまぁ、各地でいろんなものを食べているのだということだが、それぞれの土地ならではのものというのが出てきて、自然に食べるようになったのだなぁ、ということだ。何でも画一化してきれいに調理して食べるのが果たしてよいのかと思ってしまう。日本全国どこにいっても、同じ味のカレーやラーメン、スナック類では悲しいではないか。また、皆さんそういったものを大切にしているなぁ、ということだ。釣った魚が外道だからと食べるでもなく放すでもなく捨ててしまったり、キャッチ&リリースとかいうきれいな言葉で魚をいじめたり、そういったうわべだけは美しいとされている行動を否定している椎名さんには賛同するのだ。
あああ、他にももっと書きたいことがある。でもいい加減書きすぎだ。これ以上は、直接本を読んでもらうしかない。一食抜いて本を買っても、結局満腹する。というか、食えなくなるというか、もごもごもご。