好き嫌いの分かれる本だなぁ、と思う。原著は、1991年に晶文社から発刊された単行本である。これが、1995年に新潮社から文庫化された。たまたま、行きつけの書店で面出しになっているのを見つけて、その表紙に惹かれて購入してしまったというわけだ。最近、ちくま文庫からつげ義春の作品集などが出ていて、にわかに「つげ」ブームとなっている感じがするのは、私だけだろうか?
この本でポイントになるのは、著者の「つげ義春」氏である。ある方面では「超」がつくメジャーな漫画家であるが、もう一方ではまったく知られていないという極端な作家である。ちなみに私はどっちでもなく、名前は存じているし、作品も少しは読んだこともあるのだが、熱狂的に好きというわけでもないし、だからといって嫌いというわけでもない。どっちかというとシンパシーを感じるのだが、あえてのめり込みたくもない、という微妙な位置付けの作家であった。
つげ義春氏の作品は、その特異な世界観からか、さまざまなところでパロディ化されている。いわゆる商業誌のメジャーなコミックにおいてもこの状態であったから、いかに後の漫画家に与えた影響の大きなものであったかということが想像できる。あるいは、影響というよりはひとりのファンであったのかは定かではないが、鴨川つばめ(マカロニほうれん荘)、ゆうきまさみ(究極超人あ~る)、江口寿(すすめ!パイレーツ)などが有名なところだ。
本とはまったく関係ないのだが、つげ作品がゲーム化されていたのはご存じだろうか?今はなきPC-9801というコンピュータで、当時のツァイト(Zeit)というソフトハウスが開発した。ツァイトの社長であった山中氏はつげ義春氏の熱狂的ファンであり(当時本人からも聞いたので間違いない)、氏のところに通い詰めて説得し、ゲーム化への道を開いたそうだ。ゲームは、私も購入して遊んだ記憶がある。「ねじ式」をはじめとしたさまざまな作品のオムニバスといった構成になっているが、絵のタッチはそのまま取り込まれ、独特のBGMといい、目的があるのかないのかわからないようなストーリーは、「これはゲームだ」「いやゲームではない」といった論争を呼んだ覚えもある。
この本は、大きく6つのパートに分かれている。
- 「蒸発旅日記」という、文字どおり蒸発を目指してうろうろした旅日記。
- 近場を巡り歩いた小旅行記。比較的に古いもの。
- 旅写真(2)とされるもの。(実は(1)とされるものには番号は付いていないのだ)
- 近場を巡り歩いた小旅行記。比較的新しいもの。
- ちょっと長めの小旅行記。
- 旅年譜とされる年表。
この本の最初の章は、「蒸発旅行記」である。意外性に富んだいかにもつげ義春の世界と言ったお話なのだが、実は私はこれはあまり好きではない。気まぐれ、優柔不断、考えなさ、あらゆる要素が散りばめられてくるが、結局は蒸発には失敗したようだ。だが、しっかりといいとこ取りだけはしてきているような感じで、そこがイヤなのだ。
旅写真を除けば、東京近郊を巡り歩いた小旅行記が好きだ。大原、奥多摩、箱根、養老渓谷、鎌倉、伊豆、丹沢、上野原、そのへんを家族とともに、あるいは友人とともに、あるいは単独でぶらついている。ところで、タイトルは「貧困旅行記」とあるが、実は金銭的に貧困であったかのような様子はあまりない、むしろ、精神的なわびしさ、そもそもその土地の貧困さ、そんなところがタイトルに現れているような気がする(本人も、そのへんはあとがきに書いている)。
大原など、海の方のお話もいいのだが、私は奥多摩や上野原など、山あいの話が好きである。私にとっては実に懐かしい地名ばかりだ。「奥多摩貧困旅行」とあるお話では、家族とともに奥多摩(東京都西多摩郡檜原村)のあたりをぶらつき、その流れで御岳山(東京都青梅市・東京都西多摩郡奥多摩町)まで行ってしまう。檜原村の宿はいまいちだったらしいが、御岳山の宿はよかったとか、そんなたわいのないお話でもある。檜原村へは、武蔵五日市のあたりから秋川沿いに車を走らせればすぐに着くが、途中で北秋川と南秋川に分かれるあたりを北秋川の方に進めば、渓谷沿いのよい景色が味わえる。この道は行き止まりで、私は何度もこの道を進んでは行き止まりにあたっては引き返し、などということを繰り返している。都市に住んでいると、道が行き止まりになっている、などというケースにはなかなかお目にかかれない。どういうわけか、新しく車を買うと、必ず訪れるのが檜原村である。東京の奥深く、実に味わい深いところだ。
「秋山逃亡行」もよい。著者が単独で、山梨県秋山村(今の山梨県上野原市)に赴いている。著者が隠遁生活を目指して、購入できる宿などを物色して、という感じなのだが、案の定、泊まった宿で途中から相部屋にされたり、帰路に犬にまとわりつかれたり、食事に寄ったラーメン屋で店の女房に絡まれたりする。全編を通して、宿に関わる女性(老若含めて)の描写は多いが、それらの女性から好意的な扱いを受けるような感じがするのは、著者の持つ雰囲気のせいか、それとも場所になじんだわびしさを著者が持っているのか、それは謎である。ところで、秋山村へは、甲州街道(国道20号線)を八王子の方から進めば、上野原に入ったたりで「秋山」という左向きの分岐が道路案内に出始めるので、そこに進めば至ることができる。実に山深いところで、著者が別の機会でそこに赴いた際に同乗者に「日本のチベット」と言わしめたほどだから、その程度は図れようものである。私自身は、最後に赴いたのはかれこれ20年ほど前だから、今では風景も変わっていようが。
上野原と言えば、上に書いた御岳山に進むルート、すなわち青梅街道(国道411号)をひたすら西に進むと、奥多摩湖に達するが、さらに奥に進むと、東京都と山梨県の県境に達する。そこをひるまずに進むと、山梨県北都留郡丹波山村に入るが、そのままひたすら進むと塩山市(現在の甲州市)にいたり、やがて甲府市に至る。簡単に書いているが、実は相当の山道で、車に弱い人などは絶対に同乗しない方がよい。このルートは何回も走ったが、青梅街道は途中で大月方面に向かう国道139号線に分かれるので、そこを進めば大月市に至るが、途中で上野原方面へ向かう分岐がある。私はそこを20年以上前に走ったが、道が舗装されておらず、えらい目に遭ったのを覚えている。実は向かったのは新車で、路面から跳ね返る小石をボディに当てつつ、泣きながら走ったのであった。そこで引き返そうと思わないのが、やはり私らしく、この作者にも一部通じるものがあるのではないかと思っているところである。
お話はかなり古く(私の小学生時代から大学時代にかけてか)、今では果たしてその宿、鉱泉はどうなっているのだろうと気になる。実に侘びしくもあり日本的でもあった風景が目に浮かぶのだが、いまではさすがにそうはいくまい。だがしかし、久しぶりにその土地に訪れてみたいという気持ちになっているのは、この本のおかげか。
つげ義春本人の撮影による古い写真も満載。少なくとも、つげファンには読んでおいて損のない一冊である。