梅雨のまっただ中、今週の休みは雨のようだしゆっくりするぞ!と思っていたのですが、朝起きてみれば意外な好天。前回のお出かけは2週間前。妻の機嫌もよい。ということで、息子を連れて近場に撮影に行こうと、「新治市民の森」へ出掛けました。お弁当さえあればお金をかけずに自然を満喫できます。
しかし、今回も例によって、「その前に」です。
この標識は、2年前のものです。クヌギの木を削って樹液を出し、カブトムシやクワガタムシを呼ぼうと企てていた何者かを牽制しようというものでしたが、今ではありません。これに加えて、カブトムシの幼虫などを持ち出すなみたいな掲示もあったのですが、それもなくなりました。
これも当たり前のこと。持ち出すなということは、そこにあるということで、悪意ある人から見れば絶好の案内です。そこにカブトムシの幼虫などがいることは知っていても、良識ある人ならば、そこから幼虫を持ち出そうとは考えません。だから、掲示するだけ、マイナスなのです。わざわざ盗人に宝のありかを教えているようなもの。
もともと、ここは人様の土地なので、そこで何かを採取して持ち帰るのは立派な窃盗なのですが、持って帰るという人は違ったロジックを持っているようです。自然のものを持って帰るのは何が悪い、子供が欲しがるからしようがない、という論理ですね。いえ、論理というものではすでにありません。
いい歳こいた大人が、一生懸命、地面を掘り返したり、池の中を網であさっているのを見ると、情けなくなります。大義名分は子供のため、なのでしょうが、私らが子供のことは大人がこんなことに関与することはありませんでした。子供だからへたくそだし、失敗するし、うまくいかないのはほとんどで、だからそんなダメージもなかったのでしょう。
大人は徹底しますから、容赦ないです。あたり一面掘り返し、池の中もぐずぐずにして、水槽や網の装備も万全、というから洒落になりません。子供が欲しがったって、自分で捕まえられるようになったらね、で済むじゃないですか。なぜに、分不相応な欲望を満たしてあげようと動くのか、理解に苦しみます。
今年、ハグロトンボが少ないな、と思いましたが、やはり採っている人が多いということで、生き物が減っているという警告の標識が出ていました。以前も書きましたが、多すぎる人間は、自然に対するプレッシャーです。それを認識して行動しないと、単なる暴力になります。いつまでも無邪気でいるというのも、ほどほどに…。