サイトアイコン たまプラ通信

真夏の瀬上市民の森(1)―その前に

立秋は過ぎたといえども、まだまだ夏のまっただ中。ということで、今日は横浜市の釜利谷市民の森、氷取沢市民の森、瀬上市民の森をハシゴしてきました。幸い、あの強い日差しは影を潜め、涼しい風も吹いていた一日でしたが、例によって、「その前に」です。

あ~なんかうるさい人だな~とか思われるのは承知の上で!

網やら持って走り回る子供たちはいいんですけど、やっぱり大人はダメでしょう。父親=網、母親=水槽or虫かご、子ども=喜ぶ、これっていったいなんなんでしょう。生き物の採取禁止、というのは最低限のルールとしても、この構図って何か気持ち悪いですよね。

この日、予報にもなかった雨が降ってきたので、東屋で雨を凌ぎつつお昼ご飯のお弁当を食べていたのですが、現れたのはこういう親子。大きな網を振り回す父親は、小川の中にも網を入れ、あっちやこっちや手当たり次第で、すごいすごいと喜ぶ母親と息子。

しばらくすると、別の親子が来ました。この親子、そういえば、氷取沢神社のあたりから雨の中私の目の前を歩き、雨の中記念撮影をし、何だか不思議な雰囲気がしていたのですが、その親子が現れました。お母さんは首から古めのデジカメをぶら下げて、お父さんは大きなリュックをしょって、家族の荷物を一気に引き受けている模様。お子さんは手ぶらですが、あっちでこっちで見つけたものを皆で語り合って喜んでいる模様。「あ~なんかキレイだね」というお母さんの言葉。

なんでしょう、この対比は。

かなり時間が経って、瀬上池まで歩いたのですが、そこでもやっぱり見過ごせない親子が。大きなバケツに大きな捕虫網で、入るなといわれている場所に入り、小川に入ってオタマジャクシ?や小さな魚、トンボのヤゴとか取り放題。これは残してこれは捨てようなどと取捨選択をしているのを見て、さすがにたまりかねたので注意しました。

返ってきた答えは、「返しますから、大丈夫ですよ」。って、大丈夫って何?

と、ここまで書いて思ったのですが、「採る」人たちには共通の傾向があって、「採ることがうれしい」「数が多いとうれしい」ということですね。何を採って、それがどういうものなのか、観察しようとか自分の知識にしようとか、そういう意識は薄いみたいです。ラーメン屋の行列に並ぶような感覚でしょうか。

最近、「返します」「放します」という回答が多いのですけど、これってマニュアル化されているんでしょうか。笑 うるさいおじさんに言われたときの模範回答みたいな。こう言われると、それ以上は確かに突っ込みにくいです。それを知ってのレスポンスなのかな?でも、放すなら水槽、バケツ、虫かごとか、いらないですよね。

私が見るに、こういう市民の森の池とか小川って、箱庭みたいなもんだと思うんですよね。人が入って力を入れたら、簡単に壊れてしまうみたいな。強い自然とかそういうものではなくて、すごく脆い。だからこそ大事にしなければならない、人間が自分の力を認識して、過度に力を及ぼさないようにするといった心配りが、訪れる皆に必要なのかな、と思います。

モバイルバージョンを終了