今日は、こういったことを書いておかなければならないと思いました。あらましは不要でしょうが、YouTubeに「尖閣ビデオ」(正確ではないですがこのように呼ばせていただきます)を投稿した航海士が自ら名乗り出たそうですね。政府首脳は怒り心頭(というかそうなのはほんの一部のようにも見えますが)で厳罰に処すなんてことを言っているようですが、天に唾するとはこのこと。失望を通り越して呆れました。これほど、ご都合主義な方々を見たことはありませんでしたから。
さて今回の件、巷ではいろいろ言われているようですが、問題は切り離して考えなければならないと思うのです。彼(あえてこう呼ばせていただきます)が逮捕され、起訴されて、裁判の結果有罪になったとしても、「尖閣ビデオ」の本質は、何も変わっていないからです。
彼が罪を着ることで、「尖閣ビデオ」の内容は嘘だった、ということにはなりません。むしろ、有罪になったと言うことで、アレは本物である、というお墨付きまで付いてしまうでしょう(今でも、海上保安庁幹部は、アレは本物であると認めているそうですが)。また、裁判になれば、さらに新しい情報まで出てきかねません。
良識ある大人で、市民生活を健全に営んでいる人であれば、彼のが有罪と言うことになればそれは職務上甘んじて受け入れなければならないが、心情的には彼に感謝とまでは行かなくとも、同情や支援の心を持つ人は、少なくないのでは、と思います。
今回、国と国との関係、というレベルで取り沙汰されていますが、尖閣諸島付近で漁業を営む漁師の方々や、海域を警備する海上保安庁の方々にとっては現実として起きていた話であり、まさしく身に危険が及んだ、という話だったわけです(今でも及んでいる)。
特に海上保安庁の方々にとっては、命がけで職務を全うした上で確保した記録をないがしろにされ、しかも「余計なことをしやがって」みたいな扱いを受けては、表面的には何もないにしろ内面ではさぞかし煮えたぎるものがあったのではないかと思います。特に現場に近い場所ほど、そういった感情があったことでしょう。
この視点が政府中枢にはまったく欠如していた、という感想は否めません。あなた方はいったいどこを見ているのか、我々は仕事をしているぞ、と。同じような構図は、海外に派遣される自衛隊の方々、最近では各官庁の官僚も、同じようなものではないでしょうか?一種の万能感に浸り、自分たちでなんでもできると思い込み、現場を軽んじる、そんなことの繰り返しではなかったでしょうか?
個人的には、彼が名乗り出たと報道されたとき、海上保安庁の幹部は、「何てことをしてくれた」と涙を流すよりは、「よくやってくれた」と涙を流して欲しかった。もちろん、組織として、それはあってはならないことはわかっています。ですが、今回の一連の流れは、そういったものをすべて取っ払っても然るべきレベルのものであったと思っています。
このまま放置されれば、「尖閣ビデオ」そのものがいつの間にかなくなっていた、ということにもなりかねなかったでしょう(つまり証拠隠滅。でも誰がいつやったのかは不思議と取り沙汰されない)。そうなれば、事実は永久に闇の中です。それこそ、もっとも憂慮されるべき事態であったと感じます。今回、全体ではないが状況を裏付けるものが出てきたということで、少なくとも白が黒になる、という状況だけは回避できたわけです。
本来であれば、このような議論自体がおかしいことに気付くべきでしょう。と生意気にも思います。