「選択式夫婦別姓法案」というか、そういう民法改正については以前からたびたび出てきては消えてますが、かなり前にこのことについて書いたことがあります。ですがこのあいだ、ついに裁判所に提訴するという方々が現れました。どうしたことかその中に、まるっきり無関係ではない人がいましたので、びっくりしたついでに今の時点での考えとか書いておこうかなぁ、と思った次第です。
この方々、夫婦が別姓を名乗ること(夫婦別姓の婚姻届を受理しろ)、慰謝料を払え(別姓を名乗れないことで精神的苦痛を感じた)、ということを主張しているのみで、法律の改正を求めているわけではありません。ですから何も大騒ぎする必要はないのでは、とも思いますが、こういう行動によって世の中が再びこの件に注目し、しかも肯定的な見方をすることによって法改正の後押しになる、ということであれば簡単に無視できないとは思います。
見方によっては、「こう来たか!」とも取れるのですよね。国会での審議や閣議といった正攻法で進めるのが困難であれば、世の中をまずそんな雰囲気にしてしまうという。そういう雰囲気ができあがれば、法改正も進めやすくなる、そんな計算もあるのではという考えには頷けます。
仮に、「受理しろよ、金も払えよ」みたいなことが判決になれば、それは判例になりますから、同じようなパターンでの受理が増えてくると予想されます。数が多くなれば既成事実化し、法律にそぐわないなら法を変えてしまえ、みたいな動きになってもおかしくないでしょう。
裁判所は法に照らして判決を出すのが基本ですから、個人的にはこの人たちの提訴が簡単に認められるとは思えません。ただし、最初が「東京地方裁判所」という「地裁」ですから、傾向的にもしかするともしかして認めるような話になってしまう可能性があります。国は控訴して高裁に、そこで負ければ上告して最高裁に、とまで進むのでしょうが、その都度この話が世の中を騒がすことになります。
ただしこの問題は、法律がどうとかそういうレベルの話ではなくて、私たちの世の中の仕組みを根っこから変えてしまうものだということをよく認識しておかなければなりません。「子ども手当て」は支給をやめれば済む話ですが、いったん世の中の仕組みが変わってしまうと、元に戻すのは困難です。ですから変えるというのであれば、それこそ国民レベルでの議論が必要になるわけです。
議論のために一石を投じる、という高尚な主旨であれば、世の中を納得させるような理由が必要だと思いますが、情緒論の範囲を出ていないか、仕事上不便だとか、そういったレベルの主張しか出てきていないような気がします。婚姻によって姓は選択できますから、男女を差別しているという類の話でもありません。
ということはつまり、「姓の統一」が問題になるわけで、「婚姻によって姓が夫婦で統一され」「その子どもも同じ姓を名乗る」ことの問題点を、納得できるように世の中に主張しなければなりません。また、変えることが世の中にとって明らかによいことであり、現状起きているさまざまな問題を解決するものだということを論理的に説明できなければなりません。
そういったものがなければ、「離婚してもダメージが少ない」「仕事上の支障がない」といった個人レベルの事情の域を出ないと思います。個人を尊重するのは大事ですが、それを以て全体の利益が損なわれるようなことだと、ちょっと困りますね。