2つの新聞の見出しを見て下さい。
- 人権救済法案、今国会は断念 政府・民主党(産経5/12)
- 人権侵害救済法案、次期国会での成立目指す(読売5/12)
これ、同じことについて書かれた新聞記事なのですが、見出しによってかなり印象が違うと思いませんか?産経の方は、今回は断念したが次回はきっとという無念が伝わってきますが、読売の方は準備は順調で次の国会で通しますよ、という余裕が伝わってきます。
実際は、今国会で通すことはできないということで、それを単に諦めたというのと、次回は通す、というのとでは大違いです。このように、見出しというのはすごく重要であるのと同時に、付け方次第で非常に恣意的に用いることができるというものなのです。
他にも、かなり古い話になるのですが、昨年12月10日の読売新聞の記事によれば、塩事業センターが食用の塩の備蓄を8万トン削減することに決めたとあります。
この記事を見てどう思われますか?8万トンも減るのか、それは大変だな。あるいはたったの8万トンか、それくらいなら大丈夫かな。というように、受ける印象は異なるのではないでしょうか?
記事を読んだ人がオプティミストかペシミストかは別にして、この場合総量がいかほどかわからないと議論のしようもありません。ですから、記事本体に踏み込むしかないわけです。
とはいえ、我々のようなビジネスマンは、新聞記事を一面からじっくり読んでいるわけではありません。見出しをざっと眺めて、気になる記事、興味のある記事は本体を読み進み、そうでない記事はそのまま放置というパターンが普通です。なので、見出しだけで終わってしまった記事は、見出しの印象そのままということが多いわけです。
見出しには、記者やデスク、編集局、新聞社の、よく言えば伝えたいことが、悪く言えば意図が、それぞれ反映されていると思った方がよいでしょう。
私は職業柄、企画書を書くことが多いのですが、読む側も頭からじっくり、などということは想定していないので、こまめに付ける見出しにエッセンスを盛り込むようにしています。深く知りたければ、本文を読んでもらえばいいわけです。
逆を言えば、見出しで自分の持っていきたい方向にミスリードすることも可能ですが、企画書のように論理を求められる文章ではおすすめできません。
ところで、冒頭の記事の主題である「人権保護法案」というのは何なのでしょうか?震災、原発で大変なのに、このような法案の提出を試みていたとは知りませんでした。名前からして、胡散臭さそうな気がします。新聞社によっても表現は違いますが、正確には「人権侵害救済機関設置法案」というそうです。「救済」そのものが目的なのではなくて、「設置」が目的なのですね。見出しとは違いますが、ネーミングというのも実に奥が深いです。
それにしても、この大変なときに、次期臨時国会では必ず通すって、自身の役目をよくわかっていない御仁が多すぎますね。前途多難です。