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【つぶやき・本】「バカの壁」を体験する

こんな本が数年前にヒットしました。著者は、私の敬愛する養老孟司さんです。物だか、人だかは忘れましたが、それらの間には絶対に越えられない壁がある、それをバカの壁と呼ぶ、イラクとアメリカを引き合いに出して、オビにあるとおり「話せばわかる!なんて大うそ!」と、まさにそんな内容の本だったかと思います。違ったかな。

バカの壁(新潮新書)

何年も前の本のことをなぜ思い出したかというと、あるお昼どき、まさにこのような風景を見たからなんですね。ネタにも困っているし、世知辛い話だけれど書いちゃえ、と思いました。こんな奴らもいるんだ、という程度で読んでいただければ幸いです。

あるお店で、遅いお昼を採っていたときのこと。そのお店はコの字形のカウンターを持つのですが、30歳くらいの男性の二人連れが向かいの席に着きました。

二人はおのおの注文を済ませて、到着を待つようでした。ここまではよいのですが、この二人、目の前にあるお新香を引き寄せ、箸を突っ込んでパリポリやり始めました。

このお店、お新香の入った容器が2席に1個ずつの割合で用意してあり、自由に食べてよいことになっています。ある種のサービスですね。ただしトングがついており、そのトングで漬け物を摘んで、自分の茶碗なりお皿に食べる分だけ持ってくるようになっています。

しかしその二人は、それぞれが自分の手元まで容器を持ってきて、自分の箸を突っ込んで食べています。もう二つの点でアウトなのですが、ここまでならネタになりません。単なる阿呆だからですね。しようがねぇ奴らだ、で終わってしまいます。

さすがに店員さんがそれを注意しますと(もちろんそういう意味ということで、実際の言い方は違います)、その二人、「大丈夫です。」と言ったのです。へ?何が大丈夫なのだろうと思いますよね?

同じことを店員さんも思ったのでしょう。ちょっと面食らった感じでも、とにかくやめてもらおうと、食べるなら別に小皿を用意しますという趣旨のことを言いましたが、それでも大丈夫ですから、という反応。容器にはトングが付いていますから、小皿があればそれに取って食べればよい、といういちおうの配慮でしょう(そんな配慮なんてのもいらないと思いますが)。

それでも、いいです、大丈夫ですから、というレスポンスには、どういう意図が込められているのか、その場ではさっぱりわかりませんでした。あとで邪推するに、

これはどうやら後者だろうと思いました。さすがに前者はひどすぎます。ああ勘違いというか、空気読めないというか、とにかくひどすぎます。世の中のすべてが自分への愛と好意で満ちあふれている、そんな気持ちを感じます。

でも後者だって、大丈夫というのは本人たちだけであって、他のお客さんもそれを見ていますから、彼らが帰ったら箸を突っ込まれた容器は下げなければなりませんよ。というか、見ていなくたって下げなければなりません。たとえ触れていなくたって(本当に触れていないか何てわからないし)、他人の箸が何度も突っ込まれたものを食べるのなんてイヤでしょう。

私はヘタレですから、こういう人たちに面と向かって抗議することはできませんが、たとえそうしたとしてもおそらくは平行線で終わったのではないかと思います。同じ言語で話しているのに、なぜか意志が通じない、そういうことはしょっちゅうあるものです。これはそのケースだと確信しました。

職場に帰って、そういえば仕事上もそんな経験は結構あるな、と思いました。こういうことは、相手が一種の閉鎖された社会にいる場合に遭遇することが多いようです。たまたま変な価値観や思想を持った人がいて、それをクローズドな社会で共有するうちに周囲からずれていって、クローズドなので周囲とのズレにも気付かず、彼らにとってはそれが正常なので逆に周りがおかしいんだと言い出す始末、そんな感じです。

箸を突っ込む彼らにしても、仲間内ではそれが当たり前であり、なぜ他の人はわざわざトングなんて使うんだろう、と思っているかも知れません。面倒なのに、と。ことの善し悪しは別にして、そういうことはある、それは個人レベルでも、仕事レベルでも、国政レベルでもある、と。

長々と書いてしまいましたが、ふとした出来事であの本を思い出せて、ラッキーでした。今度また読んでみようかと思います。それにしても、あの本の編集者はよいタイトルを付けました、あのタイトルでなければあそこまで売れなかったと思います。逆に、あのタイトルに期待した人は、中身があまりに当たり前なので、少々ガッカリしたかと思います。これも「越えられない壁」ですかね?

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