つぶやき三連発です。相当溜まっているのだな、とお察し下さい。タイトルは「人の心がない」。もうおわかりですね。あの人たちを表現した言葉です。昨年からずっと頭の中にありましたが、どのように表現したらいいかわからなかったことが、この一言で言い表せました。
そもそも、最初からろくな人たちじゃないとは思っていたのですが、度重なる出来事で、その思いはますます強くなっていったのです。
宮崎の口蹄疫。結局、発生から収束まで、ほとんど有効な手は打たれませんでした。家畜は、殺処分されるままでした。優先して種牛を殺処分するといったことまで行われました。現場の窮状を訴える地元議員を嘲笑しました。感染したら殺せばいい、というのは畜産家の心がわかっていない証です。
尖閣諸島の中国漁船事件。撮影したとされる動画は隠匿され、告発した保安官は辞職しました。漁船船長は釈放されましたがその責任を地検になすりつけました。相手国首脳が来日したにもかかわらずそのことについては一切触れませんでした。命がけで国境線を護っている自衛官や保安官の心がわかっていない証です。
東日本大震災。津波で多くの方が亡くなりました。中には浜へ流れ着いた、流されずに木などに引っ掛かっていた子どもさんもいたと聞きます。しかしそれらの方が「遺体」として帰ることができたのは震災発生から一ヶ月も経ってから。彼らは白骨化していました。そこにいるのはわかっているのに、危険だからと放置されました。帰りたい、待っている、そういう人の心がわかっていない証です。
原発事故。多くの人が避難生活を余儀なくされています。危険だからとにかく出ていくように、ということです。計画的という名の究極の無計画ですから、何もかもがいきなりです。家畜、ペットなどは避難所に連れて行くわけにもいかず、置き去りにせざるを得ませんでした。時間が経てば、彼らは死んでいくしかありません。口蹄疫に通じる話です。避難しろと言われてもどこにとかいつまでとかそういう話はありません。普通に生活している人の心がわかっていない証です。
ざっとダイジェストで書いてもこれだけ。本気で書けば、この100倍ほどの文章になるでしょう。詐欺師、ウソつき、無能、恩知らず、無情、こう言った言葉がことごとく当てはまるなんて、もはや究極を通り越しています。
わかりやすい例は、
採決前:野党提出の不信任案でも賛成する。
裁決後:野党提出の不信任案に乗るなんてもってのほか。
こういうことを、私的な会話でなく、公の場で同一人物が口にできるのですから、理解を超えています。命がけ、誠心誠意、一所懸命、そんな言葉が泣きます。もう顔も見たくないという政治家は久しぶりです。