ある日の通勤電車内でのことなのですが…。吊革につかまり立っている私の背中をつつくものがあります。何てことはなく、後ろに立っている女性のバッグが車両の揺れによってぶつかっているだけなのですが…。
別にぎゅうぎゅう詰めの状態でもなくてもよくあることで、不愉快でも仕方ないこととやり過ごしていましたが、その女性、いきなり振り向きざまに、こんなことを言ってきました。
「あのう、私のバッグに当たっているんですが?」
一瞬、何を言われているのかわかりませんでしたので、とっさに「ああ、すいません。」と返してしまいましたが、ちょっと時間が経つと、明らかに女性の言い分がおかしいんじゃないかと思い始めました。
ぶつかっているのは女性のバッグの方で、ぶつかられているのは私の方だよね?
多少ムカムカしましたが、いや、ちょっと待てよ?と思い直しました。今の世の中では、この女性のような言い分が普通なんじゃないかな?と思ったのです。つまり、バッグは女性の一部で、私は女性にぶつかっているという理屈です。
ずっと前の投稿で、勉強中にわからない問題をスマホで撮影し、友だちに答えを教えてもらうという話を書きました。これじゃ何のための勉強かわからないけど、せっかく便利な道具があるのだから使わにゃ損という感覚が、もしかしたら今の学生さんでは普通なのでは?と思ったからです。
そういえば、最近は、リュックサックを背負ったまま通勤電車に乗っている人が多くなったような気がします。空いている車両ではなく、朝夕ですから、かなり混雑しています。でも、ごく自然に乗っているのです。若い人に限ったことでもなく、老若男女関係なく、こういう人が増えているように見えます。
リュックに限らず、大きめのカバンでも、目前の網棚が空いていようがいまいが、そのまま肩から提げているという人も多いですね。
よくあるマナーとして、混雑した車両内ではリュックは下ろして手に持って、あるいは網棚に、と車内掲示やアナウンスでもあったりしますが、実は今の普通の感覚というのは、せっかく両手の空くリュックを背負っているのに、わざわざ下ろして両手で持ったら本末転倒、スマホも操作できないじゃん!ということなのかもしれません。
共通するのは、他人に対してどうということよりは、自分にとってどう、ということですね。価値観の変化を感じます。
日本もいよいよ、個人の利益を最優先する時代に突入したかと、そこまで考えてしまった出来事でした。しかし個人主義が言われる欧米では、意外と社会や公共を優先することが多いようで、このへんを間違えるとただの自分勝手になってしまうよなぁ、と車両に揺られながら考えていたのでした。