私がトレーニングを上がりお風呂に入るタイミング、そのおじいさんはいる。ちょっと広めのお風呂のジャグジースペースで、リハビリに励んでいる。アキレス腱を伸ばし、屈伸運動をして、さまざまな運動に励んでいる。
ただひとつの問題は、そこがお湯の張られた浴槽内である、ということだ。
浴槽内で人が動けば、お湯は波打ち、揺れる。お湯が揺れると、当然のことながら静かに入っていられなくなる。体は、お湯の揺れに合わせて揺れる。
私は、それをおじいさんに指摘した。うんと優しく、「こら!そこで運動したら静かに入っておられんじゃろ、ボケェ!」と囁くと、振り向きざま、浪越徳治郎のような顔とヘアスタイルで「うん?」と言ったきり、おじいさんはもとの姿勢に戻った。お湯は、相変わらず波打ち、揺れるだけだった。
私の他に人が浴槽に入ってきた。その数、2人。おじいさんは振り向く。まだ大丈夫かと思ったのか、リハビリは続いた。さらに人が入ってきた。総勢、4人。何となく、おじいさんを囲むような形になった。
おじいさんは体の向きを変えて浴槽の縁に腰掛けた。4人になると、さすがに劣勢を感じるらしい。私は長湯だが、湯から上がる人が出た。人数は、2人に減った。するとおじいさんはまたお湯に沈み、リハビリに励むのであった。
しきい値は2人。2人までなら、多少文句を言われようが、頑張れる。3人以上になると、やや気負けする。そういうことらしい。
毎週、そんなことを繰り返した。時間を変えればいいじゃないかと思う。だが、たかがじいさんのためにトレーニングのスケジュールまで変えたくはない。なので、じいさんから離れた場所で湯に浸かることにした。
すごく揺れる。離れたところからの波動が重なり、増幅されるらしい。これはたまらんと、思いっきり近くに寄った。じいさんの足元にうずくまった。これが何と、揺れない。じいさんは、自身が揺れないようにする何らかのカウンターを繰り出しているらしかった。この勢力圏内にいれば、揺れないのだ。
それ以来、私はじいさんの側にいる。いつの間にか「お」が取れていることはどうでもいい。近くに行くとじいさんは振り向くが、2人までなら何もしないのだ。私は妙な安心感の中、熱い湯の中で疲れを癒すのだ。