サイトアイコン たまプラ通信

フリーダムな人に憧れる。

私は、フリーダムに憧れる。なんかこう、もろもろのことに影響されない、周囲に動じない感じがいい。誰にどう思われようが、何を言われようが、自らの思いのままに生きていく、そんな様に憧れる。

だが、私自身がフリーダムだと指摘されるのだが、なぜなのだろう?

ある人に言わせれば、私は好き勝手に生きているのだそうだ。本当だろうか?自分では、いろんなしがらみでがんじがらめで、とても好き勝手に生きているという自覚はないのだが。

仕事場ではさぞ好き勝手にやっているのだろう、と言われる。とんでもない。上に気を遣いつつ、下には目を配りつつ、それでも自分のことにも気を抜けず、好き勝手にやっている余裕などない。あえて言えば、時間のあるときにコーヒーを淹れて飲むくらいは、好き勝手にやっている。あとは、気になった社員に秘密のあだ名をつけてあげるくらいだ。だが、会議中にそのあだ名で呼ぶのはよせ、と注意される。これくらい、好きに言わせてくれてもいいのに、と思うのだ。

家庭内でも好き勝手にやっているよね、と言われる。とんでもない。妻に気を遣いつつ、子供には目を配りつつ、それでいて家事をせねばならず、好き勝手にやっている余裕などない。あえて言えば、時間のあるときにコーヒーを淹れて飲むくらいは、好き勝手にやっている。あとは、秘蔵の動画「ボキャブラ天国」を秘密のディスクに溜め込むくらいだ。だが、食事中にその動画を見るのはよせ、と注意される。これくらい、好きに見せてくれてもいいのに、と思うのだ。

ああ、フリーダムな人間になりたい。

モバイルバージョンを終了