今回から、写植の変遷について書いてみたいと思う。
写植が最初に現れたのは、1924年のことである。
石井茂吉という人と、森沢信夫という人によって、和文対応の写植を行う機械、いわゆる写植機が発明された。
石井氏は「写研」の創始者、森沢氏は「モリサワ」の創始者である。
写研は、写植に携わっていた人では知らない人がいない(避けて通れない)くらいのメーカーであった。
モリサワは、PostScript対応のフォントを供給するなど、現在のDTPの波にうまく乗ったメーカーである。
ただ、当時の写植機は様々な理由であまり普及しなかったようである。
追って少し詳しく書くが、写植機は「手動」写植機と「電算」写植機に大きく分けることができる。
手動写植機は、縮めて「手動機」とも呼ばれており、その名の通り「手動」によって組版の操作を行う。
電算写植機の電算はコンピュータのことであり、「プログラム」によって組版の操作を行う。
どちらが先に登場したかというと、説明するまでもなく手動機である。
初期の手動写植機は完全なアナログ型で、簡単な原理は前回説明した。
ランプから出た光は、ネガ文字盤、レンズ、プリズムを通して印画紙を感光させる。
文字を割り付ける作業は、操作する人に任せられている。
任せられているというと聞こえがいいが、文字の大きさや変形を考慮し、文字を次に置く位置など、すべての割り付け位置を計算して制御する必要があった。
制御は、印画紙を動かすことによって行い、これは機械式であった。
写植における単位は、活版における号やポイントとは違い、メートル法に準拠している。
最小の単位はQ(級)で、これは0.25mmに相当する。
0.25mm=1/4mm、QuarterだからQというわけだ。
割り付け位置を1級動かすには、機械の歯車をちょうど歯1個分動かす。
なので、1級を1歯(H)と呼ぶこともある。
どちらかというと、級は大きさを、歯は距離を表すときに使うことが多いと思う。
実は、手動写植機と電算写植機の境界は曖昧であり、後期の手動機はコンピュータが内蔵され、モニタで状態を確認しながら割り付けを行えたり、円形に文字を組むなど高度な組版も可能にしていた。
さらに、初期の電算写植機は、手動写植機の「手動」の部分をプログラムによって「自動」にしたもので、印画紙に文字を写す原理は同じであった。
なので、一概に手動写植機の時代、電算写植機の時代、とは分けられないのである。
次回は、手動写植機について書いてみようと思う。