私はそのあたりが空いているからというだけの理由で、優先席(Courtesy Seat)のあたりに立つことが多い。優先席は、特別なミッションを持った座席なので、そのあたりにいるといろいろと考えさせられる光景に出くわすことが多い。先日もそんな風景に出会ったので、場つなぎに書いてみようかと思った。
「優先席では、お年寄りに席をお譲り下さい。」もとが「シルバーシート」というだけあって、このあたりが優先席の基本である。でもまぁ、個人的には、優先席というのは柔軟に運用すべきであると思っている。朝のラッシュ時には、通勤のサラリーマンが普通に座ってもよいだろうし、要は対象となる人が優先的に利用できる、といった程度の認識で問題ないと思うのだ。
だが、そこに変な権利意識を持った人が出てくるから、話がおかしくなる。先日の場合(朝のラッシュ時)、優先席のドア側に座った20代くらいの女性を、その前に立ったご老人(といっても60歳くらい)がしきりに立たせようとしていた。どうやら、ドアの脇に立つ老婦人(こちらも60歳くらい)に席を譲りたいらしく、「座ったら?」「座りなさいよ。」「あんた、立ちなさい。」「何で立たんの?」といったふうに繰り返すので、その女性はついに席を立って車両を降りてしまった(単に目的に駅に着いただけかも知れない)。そこでそのご老人、さらに強く座ることをご老人に勧めるので、その老婦人も半分仕方ない、という感じで座った。別にお礼の言葉が交わされたわけではないので、私はてっきり夫婦かと思っていたが、実は違っていたのだ。
そこで、その老人はおとなしくなったが、しばらくして隣に座っていた大学生くらいの青年が、席を立って車両を降りた。そう言えば、その老人、女性にはしつこかったが、この青年には何も言わなかったのである。青年が降りたら、さも当然のようにその場所に座り、隣の老婦人に話しかけたのである。「我々老人のための席なんだからねぇ?」これは周囲に聞こえたらしく、皆の視線がそっちに集中した。それに気付いた瞬間、老人は話を中断してしまったが、何とも違和感のある話である。あなたが邪魔にしていた女性は、どこか調子が悪かったのかも知れないし、妊娠していないとも限らないのである。
なぜ夫婦でないとわかったかというと、先に老婦人が降りるのだが、中断された会話はまったく復活せず、降りる際も会話がまったくなかったからである。
ちなみに、最初から席を譲らなかった女性と青年については、個々の事情など他人からはまったくわからないし、肯定することも非難することもできないのである。そんなもんである。
優先席と言えば、東京近郊の私鉄などでは、妊婦さんが席を譲ってもらいやすいように、妊婦(マタニティ)マークを配布している。実は私はこれにも少々の違和感を持っている一派なのだが(うるさくてスマン)、このマークをバッグなどに付けた妊婦さんが近くにいれば席を立つことにしている。これはごくごく普通のことなので、誰かがそうしているのを見ることも、当然ある。特に、優先席近くでは、そういった光景はよく目にするのだ。
ある日、妊婦マークをバッグに付けた若い女性が、優先席に着席中の若い会社員らしき人に席を譲られていた。その女性、何か言うわけでもなく、ごく当然という顔でそのまま席に着いてしまった。まぁ、こういったこともあるだろうと苦々しく思っていたが、その女性、席に着くなり、バッグから携帯電話を取りだし、操作し始めた。ご存じのように、電車内の優先席付近では、携帯電話の使用は禁止されている。だからこれはルール違反なのである。「優先席での妊婦マークの恩恵」と「優先席での携帯電話の使用」というのは相容れないのだが、そんなことはどうでもいいようだ。
ある人は、これを「部分最適化」と呼んだ。「優先席」という枠で見れば、「妊婦マークの恩恵」と「携帯電話の使用禁止」は同列に語られるべきである。席を譲られるのはよいが、携帯電話の利用は我慢しなければならない。そういうものだ。だが、「部分最適化」だと、「妊婦マークの恩恵」を受けるときは「優先席とはそういう場所でなければならない」のだが、「携帯電話を使用」するときには「優先席だからってそこまでしなくてもよい」のである。単なるご都合主義という気もするが。
話が大きくなってしまった。要は、適度の謙虚さと、適度の親切心があれば、世の中気持ちよく回るのだろうなぁ、と思った次第である。