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編集者はばらして、また組み立てる。これは不毛か?

久しぶりの編集者ネタです。私も編集者の端くれ、たまにはこういうことも書かないと、あんたの仕事何?とか聞かれてしまいそうですね。

長いこと編集者をやっていますが(10年ほどブランクあり)、昔と今ではだいぶ仕事の進め方が違うなあ、と感じることしばしばです。と言っても、コンセプトの作り方、著者の選び方、目次の立て方、原稿の回収の仕方、スケジュールの管理の方法など、人が大きく絡む部分はそれほど変わりません。

メインの連絡手段が電話・ファックスや郵便から、電子メールやSNSなどに変わったということはありますけど。

変わったと感じるのは、原稿と呼ばれるものを編集して、最終的に紙面と呼ばれるレイアウトされた状態に持っていく一連の作業です。最初に言ってし
まえば、電子化されて個々のツールが高度化したことにあるんですけど。

今の著者さんは、千差万別な方法で原稿を書いていらっしゃいます。ただのテキストファイル、Microsoft Wordの文書、OpenOfficeの文書、HTMLファイル、TeX、よく知らないツールで書いてPDFやHTMLにしたもの、強者はInDesignなどのDTPソフトなどを使ってきたりします。

もちろん、これは文章の場合で、図を入れる場合には、手書きの紙、Microsoft
OfficeやOpenOfficeの描画ツール、Windowsのペイント、これも強者はIllustratorなどのプロ用ソフトを使ってきたりしま
す。

さて、このうち、編集者にとって最もありがたいのは何でしょうか?それは、文章に限って言えば、ただのテキストファイルなんです。なぜなら、DTPに必要なのは、このテキストファイルだから。他の形式で来たら、何らかの方法でこのテキストファイルに落とさなければなりません。

基本的に、どのツールを使っても最終的にテキストファイルにできますが、理屈の上では単純でも、いざやってみると一筋縄ではいかないのがわかります。これは経験者にしかわからな
い。

つまりこういうことです。便利なツールを使って、文字のスタイルを変えたりキレイな表を作ったりしても、それはテキストファイルの世界には引き継げな
いから、編集の工程ですべて捨てることになるのです。そして、DTPの作業中に、それらをまた反映することになります。

なぜこうなるかというと、原稿を作る工程と、紙面を作る工程に技術的な互換性がないからですね。いわば、原稿の段階で高度に組み上がったものを崩して、また組み上げる作業が必要になっているわけです。

これってすごく無駄だと思う人はやっぱりいて、原稿を書きながら同時に紙面も作り上げる、TeXやSGMLといった技術ができました。しかし、TeXは論文書きなどのアカデミックな方々に好まれるのみ、SGMLはたいして普及もせず。表現に限界があって、現在よく見かけるような紙面の作成にはとても耐えられません。

結局、テキストファイルというもっともシンプルなデータ形式を介して、原稿と紙面が結ばれるのです。こうすることで、原稿の書き手は自らに適した手段で書き、紙面の作り手は原稿を作成したツールの制約を受けることなく、自由に構成できる、ということになります。

編集者はこのテキストファイルのところにいて、原稿を崩し、また組み立てるということを行っています。双方が高度化した今、その実作業は非常に煩雑になった、と言わざるを得ませんね。

考えてみれば不思議なもので、これだけコンピュータが当たり前になり、技術も高度化しているのだから、紙面作成もすべて自動化できればこんな楽なことはないのですが(実際にそれを目指してさまざまな機能が備えられていますが)、実際のところは非常に面倒な手作業がまだまだ必要なのがDTPの世界です。

どうも、読み手が、自動的に作られたものなんてイヤ、という感情を持っていて、それに応えるためにはやっぱり人手を入れざるを得ない、そんな状況にもなっているような気がします。

言っちゃえば、Wordで作られた文書をそのままPDF化して印刷してしまえば、本にできるわけです(そういうサービスもあります)。しかし実際には、わざわざ手間をかけて崩して組み立てる、そんなことをやっています。

昔は、最初から崩れていたから、それをいかに組み立てるかということだったのですけどね。

最後に、図ですが、こればっかりはできるだけ高度なツールで作ってもらった方がよいのです。Illustratorで作ってもらえれば、DTPの世界にすんなり持って来れます。PowerPointでPDF化してもらえれば、それもDTPの世界に持って来れます。手書きの図で来た日には、涙がちょちょ切れます。

とりとめのない話になってしまいましたが、考えてみれば編集者とは非常にマルチな作業をしているなぁと思う今日この頃です。いろんな規格のインタフェースを持っていて、必要に応じて差すところを変えている、という感じなのかも知れません。

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