このシリーズ、最後に書いてから、2年も経ってしまいました。
これは、飽きっぽいとかいう以前の問題と言わざるを得ませんね。
たった10回でやめるのかよ、という謗りも受けたくないので、今度は完結を目標にします。
と反省したところで始めます。今回は、写研の組版言語を掘り下げていきます。
これまでの記事は、末尾にあるリンクをたどっていただければ幸いです。
前回までで、電算写植機の進化についてまとめてみました。
文字や図形を印画紙やフィルムに投影する仕組みはランプからレーザーへと進化しましたが、組版に対する指令については、基本的に同じ原理に基づいていました。
この指令こそが写研の組版言語であるSAPCOL(サプコル)です。
「言語」と名が付いているとおり、プログラミングを意識させる仕様となっていました。
ちなみに、写植機へのデータ入力の方法は、世代によって異なっています。
最も古いのは紙テープというもので、このいかにも「電子計算機」を彷彿とさせる仕組みは、初代の電算写植機で使われていました。
もちろん、入力したデータを紙テープとして吐き出す入力端末も登場していました。
紙テープでデータのやり取りをするのだから、データ量はたかが知れています。
紙テープは、次の世代で8インチ(!)のフロッピーディスクに進化しました。
私の記憶では、128KBの記憶容量を持つ1S(1-sided Single-desnsity:片面単密度)タイプのフロッピーディスクは写研では採用されていないと思っていましたが、間違っていたら教えて下さい。
1Sタイプのフロッピーディスクは、モリサワの電算写植機で使われていました。
写研の電算写植機で最も長い間データ入力媒体として使われてきたのは、2D(2-sided Double-density:両面倍密度)タイプのフロッピーディスクです。
これは、NECのパソコンなどで使われていた形式でもあるので、馴染みが深いものと思います。
結局、写研の電算写植機では、最後までフロッピーディスク以上のメディアは登場しませんでした。
ネットワークが一般化する前に写研の時代は終わったからです。
光ディスクなどが採用される前に、写植の時代は急速に傾いたのです。
今回はメディアの話だけになってしまいました。次回はいよいよ言語について掘り下げていきましょう。