何処かで見かけたタイトルだと、書店で見かけて思った。それもそのはずで、1998年の1月から週刊文春で連載されていたエッセイの文庫化である。だが、文庫も2002年の発刊で、3年もこの本の存在に気付いていなかったことになる。もしかして持っているかと思ったが、そうでもないと思って購入した。案の定持ってはいなかったが、持っているかもと思ったのは連載時の記憶が残っていたせいかもしれない。
この人は、作家ではない。学者である。しかも解剖学者という、ちょっと聞き慣れない学問を行っている人である。 ちょっと古い話になるが、NHKスペシャルの「人体」に出演していた人と思えば、思い出す人もいると思う。そういえば、以前に勤務先の会議でこの人のことを話題にしたとき、誰も知らなかったのでショックだった覚えがある。もしかしたら、本人には失礼かも知れないが、知られている層が若干偏っているのではないかと思う。
しかし個人的には、この人は好きである。たぶん、多少偏屈な人だと思う。偏屈なところが似ているのだろうか、だから共感するのであろうか。「異見あり」と聞いたとたんに、何かありそうだと思ってしまう自分が怖い。
この本で一貫していることは、世の中で当たり前だと思っていること、自分の属する社会で当然となっていることに異議を唱えてみるということである。しかも、本人はそれがふつうのことを言っていると思っている。しかしながら世の中を構成するのは作者のような人でなく、そうでない人が多数であるから、異見になってしまうのである。これを象徴するのが、今の就業者層は7割がサラリーマンであるという、端々に出てくるくだりである。サラリーマン社会で当然と思われることが、それが多数派であるために世の中の一般則であるかのように捉えられてしまう。
蛇足であるが、サラリーマンいわゆる勤め人にとってのルールというものは、彼らが出勤、帰宅に交通機関を使う時間帯、昼食を採る時間帯、仕事が終わって同僚と酒を飲む時間帯、そういった時間帯でないと通用しないのではないかと思うときがある。満員電車に乗り込むとき、無言で人を押しやってもそれは暗黙の了解で押された方も文句を言わないし、それが当たり前だと思っている。エスカレーターの片側を空けましょうとか、いちいちうるさい。急ぐなら、脇の階段を走ればよい。以前に同僚にそう言ったら、少しでも急ぎたいのだそうだ。そんなに急いでどうするのかと聞きたいが、そこで浮かした時間はちょっとあくびをしている間に消えてしまうわずかな時間なのである。そんな工夫より、仕事上の工夫をして欲しいが。
作者は、仕事のプロはいなくなり、勤めのプロばかりになったと書く。先日、尼崎で100名強の方がなくなったという痛ましい鉄道事故があったが、それもこういうことに関係しているのかも知れない。自分の仕事の本質的な使命とは何かと言うことを認識して毎日を送っていれば、そこから外れることには自ずと拒否感が湧く。やってはいけないこと、すべきでないことがわかってくる。これはときには組織の思惑に反することである。それでも強制するとなれば、それは軍隊である。
なんだか関係のないような話になってしまったが、一見「異論」である作者の話も、すべては論理的に組み立てられたものであり、今の社会に何かしらの違和感や居心地の悪さを感じていれば、感じるところが多いだろう。話は、政治、経済、教育、社会、全般に及ぶ。こういう話が嫌いな人もいるかも知れないが、なぜ嫌いなのかと言うことも、書いてある。どの記事がそれに該当するかは、読んで考えてみるのがいいかもしれない。
文藝春秋刊。
ISBN4-16-757304-0
定価:552円+税
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書いてみる記 7
(養老孟司氏に興味ない方は別のカテゴリーを読んで頂ければ幸いです)
インタビュー記事の流れ
・タイトル 「 ? ? ? 」
・リード ( 私たちは あたりまえ から遠い所まできてしまった・この人の言葉だけで充分 )
・組織論 ( 有機体としての組織・秩序と無秩序 )
・若者の仕事への向き合い方 ( 仕事は自分の為に存在すると思い込む )
・養老さんの仕事・その思い ( 仕事内容・仕事は修行 )
・個性、個性と若者たち・教育者�…