東京に原発を!―広瀬隆

「本」カテゴリも久しぶりだな、ということで、ジャーナリスト広瀬隆の「東京に原発を!」である。中越沖地震で、新潟県柏崎市の刈羽原発が放射能漏れを起こしたのは、誰もが知っていることと思う。ここで言えることは、原発(原子力発電所)は壊れたり問題を起こしたりする可能性があり、実際にそうだということだ(これは今回の刈羽原発に限った話ではなく、東海第二原発でもどこでも起きていたこと)。普段言われている、「原発は安全でクリーンなエネルギーです」というのが嘘っぱちであり、何となくそう思わされていることから、「そんなに安全ならば東京に原発を置けばいい」という主張が、この本である。一見、破天荒に見えるこの主張も、原発がクリーンで安全なものであれば、ものすごいメリットを生むことが本を読めばわかる。ただし、本当に「クリーンで安全」であればの話だが。

東京に原発を! 「東京に原発を!」広瀬隆。

この本は文庫であり、オリジナルの発刊は1981年である。このあと、あの有名なTMI(スリーマイル島)事故、チェルノブイリ事故が起こり、内容を全面的に書き換えたとある。ちょうど、世界が原子力発電に危険性を感じ、新たな原発の建設を控えだしたころである。そのころ、日本だけは原発の新規建設に邁進していた。その危険性を訴えるべく、書名とは相当異なる内容となった。「東京に原発を!」は冒頭部分のみで、残りは戦慄する事実に基づいて淡々と語られる辛辣かつユーモラスな警告である。ちなみに、発刊当時33基だった日本の原子力発電設備は、2006年の時点で55基にまで増えている。

「東京に原発を!」と聞いたときに、たいていの人は、「とんでもない!そんな危険なものを東京に持ってくるなんて!」と思うだろう。危険なものだとは思っていない人でも、ゴミ処理場や火葬場が近くに来るのと同じレベルで、来て欲しくないと思うのが自然だろう。だが、近くに来てもらって困るものが、どこか離れた場所にあり、それでもそこには人が棲んでいて日々の生活が営まれており、産業も興されているということをついつい忘れがちだ。都会の文化的な生活は、地方の忍耐によって成り立っているとまで言ったら言い過ぎか。

そうなのだ、原発も多分に漏れず人工の構造物であり、決して完全無欠ではないのだ。経年劣化による寿命もあるし、故障、破損、オペレーションミス、今回のように天災の被害に遭うこともあり得る。そういうものだと思っていないと、大変なことになる。なぜに原発だけが完全な安全性を主張しなければならないかといえば、そうでなくなったときに世界に与える影響が想像を絶するからである。最悪のことを想定すれば、これほど危険なものはないと思われたら原発が存在できなくなる、こういったことはうまく隠していかなければならないのだ。

何かをごまかしていると感じたら、それはもうきりがない。日本人の癌の発生率は向上する一方だが、これらは生活習慣や摂取する食物、添加物などが原因とされているが、本当は違うのではないのか。もしかしたら世の中にばらまかれている放射性物質がその原因の大きな部分を占めているのだが、あえてそれ以外のものに原因を求めているのではないのか。大腸癌が増えたのは日本人の食生活が欧米化したからと言われているが、本当にそうなのか。潰瘍性大腸炎という完治の難しいといわれる病気があるが、放射性物質によっても出血性の下痢は引き起こされる。食生活の変化、などといった曖昧な根拠よりは、放射性物質のせいと言い切った方がはっきりとわかりやすいのではないか。

それにしても、あまりに原子力発電を取り巻くことについて知らないのは要反省である。最低限、以下のようなサイトをチェックしておくべきだろうと考え、リンクを張ってみることにした。

電気事業連合会: FEPC-日本の原子力
日本原子力発電株式会社: 原電:ホーム

それにしても、放射能の話は、目に見えないだけに体がむずがゆくなってくる感覚を覚える。放射能は、いや正確には放射線は、生物の体を原子レベルで破壊するのだ。目に見えないだけに想像しにくいが、結果は目に見えるものになって現れる。そうなってからでは遅いのだが、そうならざるを得ない状況になぜ進んでいるのか、考える必要があるように思える。

コメント