何気ないものだが、ふだん見慣れていて、当たり前のようにそこにあったものがなくなるというのは、実に寂しいものだ。それがきれいでも役に立つものでもなく、ただ風景としてそこに溶け込んでいただけというものでも。
自宅近くの通勤路脇に空き地があり、そこには私がこっちに来てから、かれこれ20年近くも桑の木が生えていたのであった。なぜそこに桑の木があったかということだが、このあたりはもともと桑の木が多く、養蚕でもやっていたのだろうか?と思うほどだ。で、この桑の木だが、なぜ気になっているかといえば、そこが「雀のお宿」状態になっていたからだ。天気のいい日の午後ともなれば、たくさんの雀が集まってちゅんちゅんやっているのを、休日の外出帰りにはよく耳にしたものだ。
20年近くも目にしていながら、なくなるのは一瞬だ。ブルドーザーでなぎ倒され、ゴミのように山になっているのを見たときは、何とも言えない感情に襲われた。何のためになぎ倒されたかといえば、どうやらそこに「通路」を作るためのようだ。通路を造るのにじゃまだから、とりあえずどかしてしまおうというわけだ。最近、この手の「荒療治」が至るところで行われているように見える。
写真を撮ったかも知れないと探したが、残念ながら見つからなかった。それほどまでに当たり前に存在していたのだろう。桑の木に巻き付いた葛が、今年は紫の花を咲かせていたので、今となっては撮ってくれ撮ってくれと訴えていたようにも感じる。
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