生命のゆりかご

タイトルは仰々しいが、中身は至ってシンプルである。ちょっとした散歩で、カマキリの卵を見つけた。この冬の季節、多くの昆虫は卵で越冬するが、その卵を見ることなどほとんどないはずなのである。蝶の類は葉に卵を産み付けることもあるが、それでも単体で生むことが多いような気がする。ほかは、地面の中、木の幹の中など、目立たないところに産卵する。そういうところからすると、このカマキリの卵は目立つばかりか、その大きさも半端ではない。そういう意味では、かなり異色である。

Kamakiri_tamago_01 オオカマキリの卵。

この卵は、固い殻で覆われているため、鳥などが食べてしまうことはない。そういう意味では要塞のようなものなのだが、この中には相当数の卵が入っている。春になればここからわらわらと幼虫が湧いて出るのだが、このすべてが成虫になるわけではないのはよく知られている話だ。生存競争に勝ったものだけが生き残ると聞けば、他の捕食者から逃れて育ったものだけが残る、といった印象だろう。

だが実際には、仲間同士で食い合うことは必至である。魚、クモ、そういった「大量に生まれる」類の生き物では、敵は他の生物だけではなく、身内も含まれる。生まれたての子供にとって、同じく生まれたての子供はこれ以上ない獲物なのである。だから、生存競争とは、仲間同士の戦いから勝ち残り、かつ捕食者からも逃れた最強のものを生み出すというものなのである。

真の敵は身内にあり、とはよく言ったものだ。これで、子孫を残すにふさわしい子供が選別されるというわけだ。実に厳しい世界である。

コメント

  1. 野の花 より:

    そもそも命の始めが、たった1個の精子と卵子の結びつきですものね。生存競争はそこから始まっていますね。同じ同胞が殺し合い、そのなきがらを食べて生きる・・・生きて行くということは、そうした残酷さから逃れられない仕組みになっているのでしょうか。人間社会も似たようなものかもしれませんね。選別、選別、選別・・・そして、何が残るというのでしょう・・・?

  2. なおさん より:

    生物そのものが、遺伝情報を運ぶための器に過ぎないという話もありますね。中心は遺伝子で、自らの遺伝情報を残すためだけに生物の行動を決める、遺伝子はとても利己的だという話も聞いたことがあります。そういうところから見ると、同種であろうが殺し合いをする、というのも納得できてしまうような気もします…。

  3. kana より:

    遺伝子はとても利己的で自らの遺伝情報を残すためだけに生物の行動を決める・・・
    とっても興味深いですね。
    生存競争の為に殺しあうのは昆虫のみならず人間でさえ同様でしょうが、でも「食う」となるとまた事情は違ってくるのかも。
    狂牛病やクールー病などは、同種の共食でプリオンが変異することによって発症、と言われてますよね。
    利己的な遺伝子が越えられない壁・・・
    やはり「タブー」は確かに存在しているかも。
    カマキリはいいけど、人間はそうでなくっちゃ
    あまりにも救いがないなぁと思います・・・よくわかんないけど。

  4. なおさん より:

    かなさん、どうも。
    「食う」という行為からすれば、進化が進んだものほど「タブー」というか、同種で食い合うのは御法度ということになるのでは?牛などは知らずに「食べさせられて」(普段は食べることなど思いもよらない)いるわけだし。あまり、高等、下等という感じで見たくはないけど、そういうのはあるような気がしますね。