通勤中のストレスを伝える、このシリーズも久しぶりだ。実はこの記事はけっこう前に書いたのだが、書いたままになっていたので、公開用に少し修正した。今回は、「謎の仕切りおばさん」の話だ。
立派なおじさんが、「おばさん」などと女性を呼んでいいのかという非難もあるだろうが、この場合は親愛の情を込めた「おばさん」ということで勘弁してもらいたい。そう、「緑のおばさん」「給食のおばさん」というのと同じであると思って欲しい。
その日の朝、私の乗った車両は比較的空いていて、ひととおり埋まった座席の前に、ちらほら乗客が立っている、というような状況であった。私の場合、あまり考えずに立ち位置を決めることが多いのだが、その日も適当な場所に立って雑誌など読み始めたのであった。乗車駅の次の駅で、その「仕切りおばさん」が乗ってきたのだが、そのおばさんは不自然なことに、他にいくらでも空きスペースがあるのに、私の隣にぴったりと付いたのである。
「ムムム、何だ!?」
と思ったが、こういうことは結構あるので、それ以上は追求せずに雑誌を読み続けたのである。しばらくして、停車した駅で私の目の前の席とそのおばさんの前の席が偶然空いたのである。その日、できれば座りたいモードだった私は、では遠慮なく座らせてもらおうかと思った矢先、そのおばさんは私を腕で遮り、こともあろうことにドアの脇に佇んでいた中年夫婦に声をかけ、
「あんたたち、座りなさい!」
との賜ったのである。
「中年夫婦」というというところがミソである。「老年夫婦」「子供連れ」ではない。ちなみに私のところも端から見れば「中年夫婦」だろうか?どうでもいいが。
その中年夫婦は、
「いえ、結構です、どうぞ。」
といったんは拒否したのだが、そのおばさんは
「あたしはすぐに降りるからいいの、あんたら座りなさい!」
と相変わらず私を遮ったまま続けたのである。
「じゃあ…。」
というわけでその中年夫婦はいそいそと座ったのだが、その間、私の存在はおばさんからも、中年夫婦からも無視されていたのであった。そのおばさんは、申告通りにすぐに降りていったが、残された私の立場はどうなるのか。
いえね、別にどうしても座りたいとか、そういうことじゃないんだ!自分がすぐに降りるなら、そのまま放っておけば座りたい人が座るだろ!ということで、世話好きの下町のおばさんがここまで出張してきたのかということで、無理矢理納得することにしたのであった。
コメント
電車内は小カオス。色んな人が居ますね。
しかし、これはまた…
唖然とするほか無いというか(笑
常々、社会を動かしている原動力は
御婦人方の太陽の様なパワーではないかと考え敬服していますが
私自身も未だに納得いかない、
理不尽な事を言われた経験があります…
きっとこの御婦人方には
私達には見えない何かが見えているんでしょうね。
そうに違いない、多分、メイビー…。
7さん、
これだけでいくらでもネタになりそうな感じですよ。
単に変なだけならいいけど、明らかにルール違反だろ、みたいな。
ネタに詰まったら出していくので、期待せずに期待していて下さいな。
謎の仕切りおばさん登場ですか(笑)。多分・・・このおばさんはとても親切過ぎる人。でも、口調がはっきりしてる人だから「仕切り」になってしまうのでは?
私も一昨晩、観劇に行ったのですが、こんな事がありました。途中の休憩時間にやたら口渇を覚え、ロビーで飲み物を買おうとしたらもう売り切れ。そしたらポットにお茶が用意してあり、飲もうとしたら湯飲み茶碗がすべて使用済み。私のように口渇の人がおられるかも・・・とその湯飲み茶碗をすべて洗って来ようとカゴごと持ち上げたのです。するとまさに仕切りおばさんのような人が「自分のだけでいいわよ!」と私のしようとする事を阻止したのです。まだそれを遂行したい私に向かって「自分のだけで充分」と自分と私にそれぞれ1個ずつ茶碗を持たせ、一緒に洗いに行きました。半ば強制的でした。その後飲んだお茶はおいしかったけれど、何か心残りでした(笑)。
野の花さん、
全部洗ってあげようというのを阻止するとは、親切なのか、お節介なのか、わからない人ですね。でも本当によかれと思ってのフォローなんでしょうね、自分でも洗いに行くあたりは。
でも私は、全部洗ってあげようと思い立つあたりが、実になかなかない行動と思い、そっちの方が気になりました。
そのおばさんが、自分も茶碗を1個持って一緒に行ったのは、自分も喉が渇いていて、お茶を飲むためでした(笑)。
野の花さん、
自分が飲みたかっただけとは、洗いに行くお供が欲しかったのでしょうか。全部洗ってくれるのを待っていたら、時間がかかってしようがない、とでも思ったのでしょうか。わかるようでわからない心情ですね。