立秋は過ぎたといえども、まだまだ夏のまっただ中。ということで、今日は横浜市の釜利谷市民の森、氷取沢市民の森、瀬上市民の森をハシゴしてきました。幸い、あの強い日差しは影を潜め、涼しい風も吹いていた一日でしたが、例によって、「その前に」です。
あ~なんかうるさい人だな~とか思われるのは承知の上で!
網やら持って走り回る子供たちはいいんですけど、やっぱり大人はダメでしょう。父親=網、母親=水槽or虫かご、子ども=喜ぶ、これっていったいなんなんでしょう。生き物の採取禁止、というのは最低限のルールとしても、この構図って何か気持ち悪いですよね。
この日、予報にもなかった雨が降ってきたので、東屋で雨を凌ぎつつお昼ご飯のお弁当を食べていたのですが、現れたのはこういう親子。大きな網を振り回す父親は、小川の中にも網を入れ、あっちやこっちや手当たり次第で、すごいすごいと喜ぶ母親と息子。
しばらくすると、別の親子が来ました。この親子、そういえば、氷取沢神社のあたりから雨の中私の目の前を歩き、雨の中記念撮影をし、何だか不思議な雰囲気がしていたのですが、その親子が現れました。お母さんは首から古めのデジカメをぶら下げて、お父さんは大きなリュックをしょって、家族の荷物を一気に引き受けている模様。お子さんは手ぶらですが、あっちでこっちで見つけたものを皆で語り合って喜んでいる模様。「あ~なんかキレイだね」というお母さんの言葉。
なんでしょう、この対比は。
かなり時間が経って、瀬上池まで歩いたのですが、そこでもやっぱり見過ごせない親子が。大きなバケツに大きな捕虫網で、入るなといわれている場所に入り、小川に入ってオタマジャクシ?や小さな魚、トンボのヤゴとか取り放題。これは残してこれは捨てようなどと取捨選択をしているのを見て、さすがにたまりかねたので注意しました。
返ってきた答えは、「返しますから、大丈夫ですよ」。って、大丈夫って何?
と、ここまで書いて思ったのですが、「採る」人たちには共通の傾向があって、「採ることがうれしい」「数が多いとうれしい」ということですね。何を採って、それがどういうものなのか、観察しようとか自分の知識にしようとか、そういう意識は薄いみたいです。ラーメン屋の行列に並ぶような感覚でしょうか。
最近、「返します」「放します」という回答が多いのですけど、これってマニュアル化されているんでしょうか。笑 うるさいおじさんに言われたときの模範回答みたいな。こう言われると、それ以上は確かに突っ込みにくいです。それを知ってのレスポンスなのかな?でも、放すなら水槽、バケツ、虫かごとか、いらないですよね。
私が見るに、こういう市民の森の池とか小川って、箱庭みたいなもんだと思うんですよね。人が入って力を入れたら、簡単に壊れてしまうみたいな。強い自然とかそういうものではなくて、すごく脆い。だからこそ大事にしなければならない、人間が自分の力を認識して、過度に力を及ぼさないようにするといった心配りが、訪れる皆に必要なのかな、と思います。
コメント
私のアパートの隣家は犬を4匹飼っています。
「なるべく吠えない様気を付けてます」との事ですが、
主人が留守中などは吠え続けてうるさいので注意しました。
「あなた以外からは苦情は来ていない」と反論してきましたが、
近所中が気を使って注意しないだけ、という事に気付かないみたい。
一部のマナーの悪い喫煙者にも通じるのですが、
自分が想像してる以上に周りに迷惑を掛けているという事まで、
考えが及ばないみたいです。
(私は喫煙者ですが)
向かいの家は車発車前に毎回アイドリングを10分近くします。
音がうるさいのは勿論ですが、排気による大気汚染を考えると
見過ごす訳にはいきませんので注意しました。
ちなみにその家には子供が3人います。
大気汚染は結局彼等子供達(と我々の子孫)に一番ツケが回るのですが、
残念ながらそこまで考えは及ばないみたいです。
(私に子供はいませんが)
私一人が我慢すれば済む事なら、なるべく我慢しますが、
他の多数の方にも害が及ぶ可能性を考えると注意せずにはいられません。
当然それらのお宅とは軋轢が生じます、しかも近所(笑
なので、その後も頻繁に顔を合わせ気まずい思いもしますが、
私達全人類の未来が少しでも、ほんの僅かでも良くなるのなら、
例え嫌われようとも本望であります。
そんな人達からはむしろ好かれたくは無いというか。
7さん、
私は、自分が我慢できないなら、やってしまいますね。笑
隣の部屋で、親兄弟集まって、ベランダで喫煙大会(しかも我が家の方により沿って)を始めたので、怒鳴ってやりました。
子どもが生まれたばかりで、皆が見に来ていたのですが、さすがに赤子の近くでは吸えないということで、ベランダに出たのでしょう。
端っこに寄ったのは、自分たちの部屋に煙が及ばないようにするため。端っこなら、他人の家に迷惑が及ぶ、という発想がまったくないのが残念です。笑
娘は賛同し、妻は余計なことを、という感じでしたが、あれ以来、寝ている間に煙を吸わされる、ということはなくなりました。笑
あれ?タバコの話でしたっけ?
根底にあるのは一緒ですよね。
「想像力の欠如」って奴?穿った見方をすると、
「誰も見てなきゃ何やってもOK」「皆でやれば怖く無い」
みたいな、自己を律せない人間の幼稚な部分。
注意してわかる人達はまだ救いがありますよね。
でももっと大事なのは相手の反応よりも、
自分が相手に毅然とした態度を取れたか、かと思います。
相手の間違ってる部分に対してしっかり注意する事こそ、
本当の優しさ、人としての強さだと思います。
奥様の反応は、日中隣人様と一番顔を会わす事の多い事を
考えると気持ちはわからないでも無いですが。
ただ、煙草は副流煙が一番害を及ぼすとか聞くので、
一見過剰にでも反応するのが正しい対応だと、
喫煙者の私が言ってます。
7さん、
想像力の欠如、そういえば「想像力というもの」という題で、どこかに書いた覚えがあります。
家の前の坂を自転車で、しかも前にお子さんを乗せて滑降してくる人はけっこういるのですが、歩行者にぶつかったり、交差点で車に出くわすとか、そういうことはまったく考えないのかな、と思うことはありますね。
前にも思ったのですが、こういう人は、どっちが悪い?とかいった視点でしかものを捉えないというか、死んでしまったり怪我をしてしまったら元も子もないのに、結局はぶつかった車が悪いことになるから大丈夫、みたいな思考しかできないんですよね。
何が大丈夫なのかな、と思いますが。