最近、マイルドヤンキーという言葉が注目されているそうだ。ブログ主は、朝のNHKテレビ「おはよう日本」で知ったのだが、博報堂ブランドデザイン若者研究所(長いな)の原田曜平氏の近著「ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体」から来ているようだ。ブログ主はこの本は未読なのだが、ちょっと前の「さとり世代 盗んだバイクで走り出さない若者たち」(角川Oneテーマ21)は読んだ。話題としてはちょっと古いのだけど、この本について書いておきたいと思った。
朝日新聞(等)で話題沸騰か、確かに朝日が好きそうな切り口だ。
一種のレッテル本だが、この投稿を読んでいる皆さんがバブル世代か、職場で若い人を使う立場にあるか、若い人向けのマーケティングを行っているなら、そういった視点を押さえておくことは必要だよねスタンスで読んでおくことをオススメしたい。
帯の表4に吹き出されている言葉がすべてを物語っている。何か、ブログ主は自分の若い頃を否定されている気分だ。
そもそも「さとり世代」とは、あの巨大掲示板「2ちゃんねる」発の造語。「ゆとり世代」という言葉は誰もが知ることと思うが、当のゆとり世代はそう呼ばれることを嫌う。その中から誰かが言い出した「さとり」が共感を呼んで、一気に広まったわけ。
この本は、この「さとり世代」について、その世代の大学生らと著者によるディスカッションがベースとなっている。基本的に会話文で、各章の最後に著者によるまとめが付いている。だらだらと会話文を読みたくなければ、最後の章「番外編 バブル世代vsさとり世代」をまず読み、そして各章のまとめだけを読んでいくのがいいかもしれない。
ブログ主はバブル世代らしいので、このような世代の人間は特に番外編から読むと入りやすいと思われる。我々の世代では当たり前だった感覚を、冷めた目でこき下ろされるそのギャップ間はすさまじい。なぜにこのような変化が起きてしまったのかという疑問よりは、こういったギャップを認識していないと若い世代を相手にするときには必ず失敗する、という恐怖が先立つ。
例えばこういうことだ。我々バブル世代は、アルバイトに精を出してお金を貯めて、スキーに行ったりクルマを買ったりブランドものを買ったり、女の子とデートしたい!というモチベーションで動いていたが、さとり世代の彼らから見れば「何でそこまでそんなことに一生懸命になるんですか?」ということになる。まるで理解できないことのようだ。考えてみればブログ主も、若くしてクルマをローンを組んで購入し、案の定週末に走り回ったり女の子とデートしていたりした。それが当たり前の感覚だった。
そう、クルマはデートグッズだった。なので必然的に2ドアか3ドア車。しかし今はクルマを持つというケースがそもそも少なく、持っていてもミニバンか軽のワンボックス。大勢乗れるのがイイのだ。つまりデートグッズではなく、仲間とのコミュニケーショングッズなのだ。そんな世代に、カッコイイスポーツカーが売れるわけない。買うのはブログ主のようなおじさん、ということになるのだ。
これからの若い世代は、ほんとうに大変な時代を生きることになると思う。文字どおりの実力社会だ。社会が右肩上がりで成長しているときには、能力がない人、努力しない人でも引きずられて上がることができた。しかし社会が右肩下がりか傾斜が緩やかになるときには、そんな人は一緒に上がれないか、下がってしまう。懸命に上がる努力をしないと今のままか、ずり落ちてしまうのだ。
信じずとも努力もせずとも何とかなったのに対し、信じて努力しても何ともならないというのは皮肉なものだ。努力してもムダ、トライアルして失敗したらもったいない、責任を負っても見返りはないとか、そんな気持ちは理解できる。だがそこで止まったら、先もないと言える。人生を30年ほど多く生きているブログ主のような人間からは、努力は必ず報われる、なんて無責任なことは言えない。だが諦めろとも言えない。ある意味、これは自分にもかかってくることだから。
立場は違うが同じ時代に生きるのだ、そこは世代間ギャップではない共有できる何かがあると思っている。
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