脳死

今読んでいる、上野正彦著 死体検死医
今日読んだ中に、脳死の記事があった。
脳死、TVなどを見ていると耳に入ってくる言葉であるが、意外とその意味を正確に把握してはいないようだ。
私も、脳死が臓器移植と関係あると言うことまでは認識していても、なぜそうなのかと聞かれると返答に困ってしまう。
この記事で、その疑問が少し晴れたような気がする。
要約して紹介しよう。

人間の脳は、「脳幹」と「終脳」に大きく分けられている。
前者が30%、後者が70%ということである。
脳幹は、不随意神経、植物神経、自律神経を支配する。
終脳は、随意神経、動物神経、脳脊髄神経を支配する。
不随意神経とは、意志に関係なく機能する。
呼吸器系、循環器系、消化器系など、生命活動の維持を司る。
寝ていても心臓や呼吸が止まらないのは、不随意神経の働きによる。
随意神経とは、意志によって機能する。
四肢を動かす筋肉がその代表だ。
こちらは、動かすという明確な意志によって動く。

ここで、「植物状態」と「脳死状態」と言うことになる。
植物状態は、終脳がダメージを受け、脳幹のみが機能している状態という。
脳幹が機能しているので、呼吸、循環、消化は正常に働く。
つまり、栄養を与えていれば生命活動は維持される。

脳死状態は、脳幹がダメージを受けている状態という。
脳幹がダメージを受けているので、呼吸、循環、消化がうまく機能しない。
とりわけ重要な呼吸と循環が機能しないので、放っておくと死んでしまう。
なので、人工心肺などで、その機能を代行する。
だが、2, 3週間ほどで、それも適わなくなり、死が訪れる。

脳死とは、文字どおり脳が死んではいるが生命の維持に必要な活動は持続中であるという状態のことである。
この状態が2, 3週間続き、それはまさに死にゆく期間といえよう。
この状態のときに内臓を取り出して移植すれば、最良の結果が得られるという。
しかし、まだ体は生きている。
そのような状態で臓器を取り出し、移植することには抵抗があるだろう。
何しろ、触れてみれば体は温かく、生きているのだろうと実感できるかもしれないからだ。

アメリカなどでは、個人の意志によって脳死状態における臓器提供の意志の有無をはっきり示すという。
しかし、生命観の違いからか、日本では受け入れにくいだろうという意見もある。
なかなか難しいところだが、どう考えるか?
脳死に陥れば、復活の見込みはない。
ならせめて、他人の役に立って、という考えもあるだろう。
この問題は、当人より周囲にあるのでは、とも思えなくもない。
何しろ、当の本人はそんなことを考えることもできないのだから。

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