河北新報の記事「世界自然遺産・白神山地 入山者激増、問われる保護」から。この記事によれば、世界遺産指定の白神山地(青森県・秋田県)がやばいことになっているらしいな。世界遺産に指定されたために観光客が増えて、却って自然が脅かされている結果になっているのは皮肉だな。
貴重な自然を残すには、人の手が入らないのが一番だ。だが、知らない故に破壊してしまうということもあり得るわけで、そのためには人々に知らしめたり、白神山地のように世界遺産に指定してまで守る必要もあるわけだ。人々が知ってしまったり、有名になったりで、意図していたものとは違う方向に動いてしまうとは、難しいものだ。
尾瀬なんかも、あの湿地帯を保護するには人が入らないのが一番なのだが、人々が尾瀬の自然を美しいと感じ、守らなければならないという気持ちを持つには、やはり尾瀬を広く知らしめて、目の当たりにしてもらうのが一番だと思う。
個人的には、世界遺産とかそういうものを、単なる観光資源とか地元のPR活動にしか結び付けられないところにも問題があると感じているのだが…。これは見に訪れる側の問題でもあるのだが…。
コメント
自然の中で生かされている人間ごときが、自然保護だなんて、うぬぼれもいいところなんです。
地球が温暖化、異常気象、砂漠化など人間滅びるのも自然浄化の一つなんですよ。
通りすがりさん、コメントありがとうです。
おっしゃることは何となく理解できるけど、ちょっと極端なような気がします。
自然の中で生かされているというか、というよりは人間も自然の一部だと思うんです。
このままじゃ自らの存続も危うい、そういうことを考えるから、少しでも身を守るためにいろいろな行動に走る、ということではないでしょうか。
いろいろな、人間にとってのマイナスな自然現象で浄化と仰るなら、それを以て自らが消え失せてもいいような覚悟をお持ちでしょうか?
多分、誇張が入っていらっしゃるでしょうが、人間がこの自然と相容れない異質な存在という考え方には、同意できませんね。
生かされているというのであれば、むしろ感謝すべき。感謝の心が保護という行動に出るなら、それはむしろ歓迎すべき。私のいいたいのは、そこにも自己の欲求を満足させるようなものを要求する、ちょっとずれた心理こそ、避難すべきだということです。
また、来て下さいね。
死んで、骨肉を自然に帰さないのは(火葬して大気中に放出するということでは帰っているのですが)人間だけでしょうね。
そういう意味では、一種独特な生き物ですね。
ただ、人間は、自然の一部だと思いますよ。癌細胞でも人間の一部なように。
その存在に意味があるかどうかは私にはわかりません。
人が成長するためには失敗が必要なようなものかもしれません。
その失敗の中に成功が隠れているかもしれませんし。
成功とか失敗とか言うこと自体に意味がないのかもしれませんし。波の揺らぎみたいなものかもしれません。
人の生きてきた時代なんて45億年とも言われる地球の歴史の中ではほんの一瞬だし、すぐに消えてしまう泡みたいなものかもしれません。
人は、いずれ死ぬのが判っていても生きようとするものです。
ただそれだけかもしれません。
死ぬことが生まれることかもしれませんし。
昆虫が、蛹の中で一度どろどろに解けて、生まれ変わるように・・・・