最近、鬼のように報道されて問題視されている事件が多い割には、その状況にちょっとした違和感を感じることが多いので、続けて時事ネタ、行ってみようかと思います。今回は、「あるある」事件です(勝手に命名)。改めて説明する必要もないと思いますが、実験データのでっち上げ、証言のねつ造、その他諸々の「けしからん行為」によって、結局は番組の打ち切りまで行ってしまったというものです。私自身、「パート2」になる前はたまに視ていて、「ふんふん、そうか、なるほど」などと擦り込まれていた部分が多いのですが、「パート2」はほとんど見ていませんでした。続けて視ていればわかるのですが、明らかに胡散臭いんですよ。それは、「パート1」にあった諸々のコンテンツから、「パート2」では非常にわかりやすい路線転換があったのが目に付くからなんです。
実は私は、この問題が最初に報じられたときに、「納豆をバカにするな!」という記事を酒に酔った勢いで即日投稿してしまったのですが、その時点ではこの問題がここまで大きくなるとは思いもよりませんでした(またかよ、という感じ)。何事もファースト・インプレッションは大事ですから、そのときの気持ちを改めてここに書くと、「納豆ダイエットなんかに安易に飛びつくな、stupid!」「納豆メーカーもこんなfloatingな話で喜んでるな!」といった感じでしたね。案の定、今頃になってそんな意見も出てきているようですが、だからといって安易なダイエットネタに飛びついた人や、大量の発注を何とかこなそうと頑張ろうとした納豆メーカーの人には、罪はありません。基本的には、いかがわしい番組を作った側に絶対の非があるんです。
でも、だからといって、番組制作会社や関西テレビ、フジテレビを攻めていても問題の本質は見えてこないと思うんですね。マスコミによるマスコミ叩きは、見ていて大変見苦しいものがありますが、この人達は「人の振り見て我が振り直せ」という大変素晴らしいことわざをご存じないのでしょうか?本当に昔の人はいいことを言います。どこのTV局、番組にも叩けば何か出てくる余地があるのではないかと思うのですが、そんなものは「目の前の弱った犬」の魅力には勝てないのでしょうね。「こんな新しい事実が出ました!」なんて誇らしげに報道する方々には、他にもっと突くことが世の中には山積みだろ、と突っ込みたくもなります。
こういうマスコミの動きというか習性は今に始まったことではありませんが、今回のような事件が起きた状況、それは単なるテレビ局から制作プロダクションへの下請け構造、といったものだけではないですね。私もこういう業界に近いところに身を置いていますから、発注側と受け側の力関係というのは、すさまじいものがあるということは認識しています。限られた予算と時間で、発注側の望むものを作らねばならないとき、最悪「やっつけ」ます。それでとにかく納品してしまう。これはこれであとで問題になることは少なくないんですが、そのときの受け側の心理といったら、とにかく終わらせて形を作って納品する、それしかないと思うんです。遅れたり、逃げたり、降りたりしたら、次回から干されてしまいますから。また、下請けは規模的に小さいところが多いので、仕事が長引けば資金繰りが悪化する、ということもあります。これは、元請けと下請けという構造がある業界、全般に言えることと思うんですけど(要するにほとんどじゃん)。
今回の「あるある(パート2)」は、順調なときにはいろいろな人に利用されたあげくに、ほころびが露呈して大問題になった途端に離れられて叩かれた、という感じです。スポンサーの「花王」も、自分たちに矛先が向く前にさっさとスポンサーを降りてしまいましたが、この番組の作りが視聴者の健康志向、清潔志向を強化させたい「花王」の強い意向を受けていたことはわかりそうなものですし、番組がどういうテーマでいつ放送されるかというのは、大手小売店チェーンやメーカーにはあらかじめ伝えられるとも聞きます。番組放送の翌日には、店頭に販促のポップ、ポスター、ビデオ、幟(のぼり)、しかも大量の在庫があるという事実は、単に小売店やメーカーの機動力で片付けるには単純ではないかと思います。
あまり長々と憶測だけで書いていてもしようがないので締めくくりますが、たかがテレビ番組、そんなもののネタに真剣に飛びついて、やれ騙されただの、信じていたのに、だの騒ぐ方も、どっちもどっちという気もしますね。逆を言えば、それだけテレビの存在感が大きなものになんでしょうが、これだけ情報リソースの豊富な世の中になってもそうなのですから、たかがテレビ、されどテレビ、という感じもいたします。いい加減な番組作りが許されるわけはありませんが、情報の受け手である我々も、取捨選択を行える知恵を身に付けておきたいものです。
それにしても、一番かわいそうなのは納豆だよ…。
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