リンク: 中国側見解「看過できない」=科学的データ提供を-ギョーザ事件で警察庁長官(時事通信) – Yahoo!ニュース
これのもとになるニュースがいつの間にか見れなくなっており、そっちからの引用はできなくなっていたので、このニュースを引用した。今の時点での中国側の見解を見ていたら、どっかでこんなのを見たよなぁ、とか思っていて、いったい何かしら?とか思っていたらこれだったのだ。
この話は、細菌兵器を奪おうとする中国情報部と、おなじみエーベルバッハ少佐のNATO情報部の戦いなのだが、その中で中国文化局の役人が登場するシーンがある(持っていれば257ページ以降)。エーベルバッハ少佐は下手人の情報提供の協力を依頼するが、中国側の役人は、可能な限り協力すると言うが、そもそも犯罪人がいない、同胞にそんなことをする人間がいるわけがないので協力のしようがない、とも言うのだ。この論理の違いは、今まさに起きていることなのだと思った。エーベルバッハ少佐は、しまいにはあきれてしまうのだが、冷静に対応しなければならないのは、漫画でも現実でも同じである。
別の記事で書こうと思ったが、今読んでいる本で、こんな話がある。信じている仮説が異なれば、議論は永遠に平行線だと。本当に信じているのかは別として、あまりに論理の回路がある場合、それはギャップとかそういうレベルではなく、溝か谷、とったレベルになるのだろう。
惜しむらくは、相手があえてそれを狙っている場合である。わずかな意志の相違は矯正できるが、あまりに乖離していれば、それは…。しっかりしてくれと言うしかない。
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