「学研の科学」から学んだもの

学研(学習研究社)の「学研の学習」「学研の科学」が休刊となったそうです。非常に残念です。「学習」はともかく(すいません)、「科学」が休刊になったのは本当に惜しい。そう思います。ベネッセなどでは幼年・小学生向けに「サイエンス教室」などを運営して好評を得ているというのに。

Fragment5_01
「フラグメントNo.5」という東京ミッドタウンにあるオブジェです(記事の内容とは無関係です)。

私の年代では、小学校まで出張してきてくれ、事前に申し込んでおいて代金と引き替えに商品を受け取る、というシステムでした(今はどうだか知りません。子供に聞いてもはっきりしません)。これも、特定の業者と公立学校の関係云々、学校に現金を持ってくることの危うさなどが指摘されたとかで、取りやめになったという話は聞いたことがあります。

私は、「科学」をとっていましたが、月に一度やってくるこれが、すごい楽しみな子供でした。簡単な電気工作、シーモンキーの飼育セット、ピンホールカメラなど、今でも「ムムム」とうなってしまいそうなものばかりです。冊子が付いてくるのですが、そっちはおまけで、メインは教材キットの方でした。みんなもそうでしたでしょう?

そのおかげがあってか、あるいはなくてもそうなっていたのか、小学生高学年のころには、すっかり「理科オタク」になっていました。時計を見てはばらし、ステレオは改造し、百科事典は読みあさり、鉄道の写真を撮りに行き(これは理科じゃないか。笑)、虫集めに没頭する、そんな子供になってしまいました。よき理解者であった祖父は、そのへんで拾ってきたテレビなどをくれるとか、大きな影響を与えてくれました。

今の世の中、これほど科学を必要とし、事実科学で成り立っているのですから、もっとその世界に入っていこうと思う子供がいてもおかしくないと思うのですが、前の「サイエンス教室」の繁盛とは裏腹に、そういう実感がないのは私だけでしょうか?

では、せめて自分の子供だけでもと思い、さまざまなチャンスを与える(一緒に山に行く=これはすぐに飽きる、機械いじりを見せたりする=テスターなんかには興味があるようだ、サイエンス関係の本を買ってリビングに置く=これはよく読んでいる、TVやビデオはそんなのばかり見る=好きみたい、など)のですが、なかなかどうして、そううまくは興味を持ってくれないようです。

お前は俺の息子じゃない!

などということは冗談でも言えませんが、この理系オタクの父にして、なぜ…?(がっくし)

まぁ、人には適性がありますから、必ず興味を持たなければならないというものでもないですが、ならばせめてほかに打ち込めるものがあって欲しいなぁ、と思って子供を見ています。

学研は、休刊に伴い、「十人十色ではなく一人十色だ」と言っているようですが、モノと情報が溢れている現代、確かにそうかも知れません。私の小学校時代は今のように多様な娯楽があったわけではありません。塾に通うなんてのも、マイノリティでした。だからこそ、興味を持ったものにぶつかっていける素地があったのでしょう。

多様性に溢れ、選択の自由もあるという状況は、逆に非常に生きにくいとも言えるのかも知れません。「科学」の休刊で、そんなところまで発想が及んでしまいました。

コメント

  1. 野の花 より:

    子供の時に出会った本は大人になってもずっと大きな影響力を持ちますね。なおさんが科学の本であったように、私は小1の時に買ってもらったナイチンゲールの伝記でした。そのせいで、曲がりなりにもこの職に就きました。また低学年の頃に与えてもらった「花」「虫」「動物」「魚」など6冊のポケット図鑑。これによって、草花の名を覚えました。そして父のあまりうまくない読み聞かせにも関わらず、読書は好きになりました。それを受け継いで子供には結構読み聞かせたつもりですが、うちもサッパリ思い通りには行きませんでした(笑)。

  2. なおさん より:

    野の花さん、
    三つ子の魂百まで。ですよね。
    今は、もっと年は上になっていると思いますけど。
    野の花さんは、医療系だったのですね。
    同じように上の世代がやっきになってもうまくいかないのは、社会構造が変わってしまったからと思わざるを得ませんね。
    そして、自分自身も。