そのステージにならないとわからないことがある。

若い人から、自分はどのように見られているのかということを考えた。もちろん、何の理由もなくそんなことを考えたりはしないけど、意外と彼らは何もわかってもいないのに年長の人間を勝手に評価してしまうものだな、とあることをきっかけに思った。

大いにして、人は自分の経験や知識の範囲内でしか物事を評価しないものだ。例えば職場の若い彼は、年長の人間は自分にはまだ足りない経験を積んで技量を身に付け仕事もきっちりこなし、だから仕事のことで悩むことなんて無いんだと考えた。

その年長の人間は、果たして若い彼がそのまま成長したかのような人間だろうか?否、若い彼より長い人生を歩んだ結果、恋愛をし、結婚して、子供まで授かったかも知れない。

いやいや、職場で出世して部下を持ち、それに伴い報酬もアップ、郊外に一軒家を購入したかも知れない。

いいことばかりではない。結婚すれば家庭の悩みが、子どもが産まれれば育児の問題が、部下を持てばマネジメントの負担が、家を持てばローンの支払いに四苦八苦しているかも知れないのだ。

そう、ステージが変われば、そのステージならではの悩みや苦しみが新たに現れるのだ。

しかし若い彼は、そんなこと想像もできない。だから、○長(役職の名前)はいいですね、仕事ができて収入もいいでしょうし、家庭も円満で部下をたくさん任されていますしね、などと真顔で言ったりするのだ。

親の気持ちは、親になってみないとわからない。上司の気持ちは、上司になってみないとわからない。家庭を持つ人の環境は、家庭を持ってみないとわからない。こう書くと当たり前のことのようだけど、意外とこういうことってないがしろにされているのではないかな?と思うときがある。

お前さんにもいずれわかるときが来るよ、なんてオヤジ臭い説教はやめにしたいが、人間はそのステージごとに異なった問題を抱えるのだ。そしてそれはそのステージに上がらないと見えないのだ。さらに言えば、どれくらいのステージに上がったかで、人間の厚みも変わってくるのだ。

観衆でいるのは気が楽だが、若い彼にはぜひたくさんのステージに上がって、そのステージからしか見えない何かを焼き付けて欲しいのだ。

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