日刊デジクミ(5)―活版ラスト

前回で、活版印刷の工程について触れた。
今回は、その工程と「組版」の関係についてまとめてみる。
「活版」について書くのは、これで最後にしたい。

まとめてみると言っても、実は非常にシンプルな記述で終わってしまう。
前回書いた、「植字」という作業が、実は「組版」に他ならない。
「原稿」に従い、組み幅を決める。
そして、「活字」をチョイスし、その幅に従い並べていく。
スペースの必要な場所には「インテル」を挿入し、空きを確保する。
このように、印刷のための「版」を「組」みあげる、これが基本である。

「活版」の動かしがたい特性は、たとえ空いている場所を作りたくても、そこには「インテル」という固形物を入れて、とにかく埋めなければならない、という点だろう。
フリーレイアウトの感覚で、置きたいところに「活字」を置く、というようにはできないのである。
このため、気が付いたら自動でこれだけ空いていた、という現在のDTP的感覚とは異なり、空きが必要だったらとにかくインテルを置く!という作業が必要だった。
つまり、空ける必要があれば、開ける量はどれくらいか、それは適切なのか、他の部分とのアキ量との兼ねあいはどうなのか、ということを考えつつ行う必要があった。
空けるにしても一定のルールがあり、それを意識しないでは「組版」を行うことはできなったであろう。

さらに、「活版」では固形物を並べていくので、物理的に重なる部分を作ることはできない。
たとえば、隣同士の文字が重なったり、前後の行が重なるといった具合である。
少なくとも、同一の「版」の中では不可能な組みである。
だから、活字と活字の間、行と行の間、といったように「間隔」が重要であった。

「活版」「写植」時代を知っている人と、いきなりDTPに入った人でこのへんの感覚がずいぶんと違うような気がするのだが、このへんを埋めるのも本連載の目的ではある。
(大それた目標だが)

次回からは、写植機、特に手動写植機について取り上げてみよう。

日刊デジクミ(4)―活版印刷の工程
日刊デジクミ(6)―写真植字(1)

コメント