あー、また…。

また、小さな子供が母親の男に死なされちゃったて…。こういうニュース聞くと、本当に鬱になる…。何とかならなかったの?って思っちゃうよ。これだけ人がいて、大人もいて、なのになんで、という気持ちになる。どうしようもないんだけどね。

この際、遺伝子レベルの話や、生物学的に見た雄の性質なんてのはどうでもいいのだ。我々は人間なんだから。あわよくば、そんなところに逃げ込んで正当化しようという向きもあるようだが。だったら、人間であることをおやめなさいといいたい。人間が人たる所以は、理性の存在なのだから。大なり小なり、理性というものを持ち、保ち、生きているのが人間なのだから。それを捨てて、やれ本能だ、先天だといわれても納得する術は持っていない。

のっけから何を書いているのでしょうね。でもね、こういう事件のことを聞くたびに、こういうことを思ってしまう。血のつながっていない子供を排除する本能、雄の遺伝子の性、そういうもの。そういうのは確かにあるのかも知れないけど、それを認めてしまえば獣に成り下がることになる。ほとんどの場合は、血を越えて理性を持って仲間となれる、そう思いたい。

同じく子供を持つ親として、誰も責められない。大なり小なり、そういう気持ちは誰でも持っているはず。誰だって完璧でないし、100%の親でもない。でもそういうことを思えるかどうか、そこが違うと思う。あなたは、その間、何を考えていたのか。

避難を恐れずに言えば、こういう事件は母親が母親でなくなったときに起きているようにも感じる。今回もそう、子供を投げ飛ばしてたたきつけるのがしつけだって。おかしいでしょう?自分で言っていて不思議に思わないのか。自己弁護じゃないのか?

子供が、血のつながらない男になつかないのは、当然です。そこをベースに考えないからおかしなことになる。最初からベースを有り得ないポジションに設定するからおかしくなる。世の中、なんでも時間をかけたり手間をかけたりすれば解決すると思っているからおかしくなる。中にはどうにもならないこともある。むしろそういうことの方が多い。そう思って毎日を送らないと世の中がおかしくなる。何でうまくいかないのだろうとね。

話戻しますけど、亡くなった男の子は、どうかあの世でゆっくりしてください。今度はもう殴られないし、投げられないし。圧倒的な力関係の差の中で、翻弄されることもない。ゆっくりと、ね。

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