偽善エコロジー―「環境生活」が地球を破壊する―武田邦彦

偽善エコロジー―「環境生活」が地球を破壊する (幻冬舎新書 (た-5-1)) 幻冬舎新書。

現在、世間ではエコロジー、環境保護、資源節約が叫ばれている。私などは、ふだんからこういったものを「胡散臭いもの」と思って一歩引いて見ることにしているのだが、そんな姿勢を貫いてしまった本があると聞いた。この本には、現在行われている環境にいいこと、省資源にいいこと、そういったことを片っ端から否定するようなことが書かれている。エコロジスト、環境運動家などが読めば怒髪天を衝く、といったほどのものだ。どれどれ、これは読んで見ねばなるまい、とへそ曲がりの私はさっそく書店で手に取ったのであった。

ところで、このブログを読んでいただいている希少な皆さんは、次の3つの行動を支持するだろうか。

  • 割り箸などはできるだけ使わない。
  • ペットボトルは分別してリサイクルに回す。
  • レジ袋はもらわない(マイバッグを使う)。

ふつうに考えれば、すべて「支持する」だろう。いや、世間全体の雰囲気がそれを強制するようなものになっている。私なども、割り箸はできるだけ使わずに自分の箸を使うし、自宅で使えば洗って何回も使い、ペットボトルも包装とキャップは取り外してそれだけまとめて資源ゴミの日に出す。レジ袋は、買ったものが1個か2個ぐらいならテープで済ませてもらう。くらいのことはやっているのだ。

だが残念なことに、この本によれば、これらの行動はすべて「無駄」だそうだ。これは過激である。割り箸は森林資源を浪費する、ペットボトルはリサイクルすれば新たにペットボトルとして生まれ変わる(か、繊維製品になる)、レジ袋は石油資源の無駄遣い、と誰もがこう思っている。これが否定されるのだから、「おい、ちょっと待て!」というようになるのもわかるだろう。

少しだけ書いてしまうと、割り箸は本来、木材の捨ててしまう部分(材木を採った後の端材、あるいは間伐材)の有効利用であったが、これは森林破壊になるとかで国内では使えなくなった。替わりに、中国や東南アジアなどの外国から輸入している。つまりあちらでは、「割り箸のために木を切る」ということになる。つまり、国内の森林は守ったが、外国の森林を破壊したということになる。

だがこれもこの本によれば間違いで、実は国内の森林も守れていないのだそうだ。本来使えるべきものを使わずにそのまま放置するため、森林は荒れて災害のリスクも高まる。つまり、よかれと思ってやっていることが、結局誰にとってもいい話になっていない、ということになる。これでは何のための環境保護か、ということになる。

そういえば、私のよく行く中華料理屋では、割り箸立てにわざわざ「ベトナムで植林した木から採っているので環境にやさしいです」みたいなことが書かれている。最初は「へ~そうか」と思っていたが、何のことはなく、日本で採っていないからエコなんですよ、と安心させるための言葉にも見える。

ペットボトルはほとんどリサイクルされておらず、レジ袋は原油の余り成分を原料にしているので燃やすのが最初になるか最後になるかの違いだけ、ということだ。このほか、ダイオキシンは危険か、生ゴミを肥料にするのはいいことか、などたくさんのトピックスがある。どうも読み進んでいくと、結局は利権と、環境保護に名を借りた「エゴ」活動に行き着くと思うのだ。自治体の事業と既得権益、大手企業の優遇など、どこにでもある構図がここでも見えてくる。

データや考え方が古いといった批判も多い本だが、今まで無条件によいと思っていたことを考えなおすきっかけとする本としては、内容もコンパクトで読みやすいのでお勧めと言えるだろう。 反論もいろいろ出ているので、読み比べると面白いかも知れない。

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